名前を付ける

本のことを書いてあるブログ

読書記録ちょっと分ー大丈夫マン

『エミール』は、「"全く彼自身のためにだけ"存在する自然人と社会での生活の意味との間の矛盾を解決する方法を見つける」ことを試みる。


その冒頭の文:「それは物事の作者の手に委ねられるのですべてが良いものである;すべては人間の手に移ると退化し始める。」 ルソーは、『社会契約論』(1762)で彼が特定した自然人が腐敗した社会を生き残ることを可能にする教育システムを説明しようとする

社会契約論

自然状態から社会の成立原理を明らかにして、人民主権など民主主義理論に基づく社会契約説を説く内容であったので、出版後は王権神授説を支持する絶対王政期のフランス王国カトリック教会[2]が激しく反発し、出版禁止や逮捕令などでルソーは弾圧を受けた。


こちら読みましたがこちらは社会契約論を書いたルソーが教育と人間の性質について、それが社会を形づくることにおいて「最高かつ最も重要」の部分と位置づけて書かれた論文だそうです。わたしが読んだこちらは漫画で書かれていたものですがルソーの息子のエミールが育っていく過程をものがたり調で描かれている部分が多く、wikiにもありましたがおもに子どもの教育をするうえで、既存の社会システムや宗教腐敗した大人の構造を子どもには見せる事なく、子どもや人間を自然のひとつだとした上でその生理や感情を露悪的なはたらきにさせないためただしい場所、それから順序で教育していくという感じでした。わたしたちが今読んでも教育書のひとつという括りになるのかもしれませんが当時は宗教に対して異を唱える事自体が異端だったため出版禁止になったそうです。
wikiにもありましたがルソーは紋切り型の教え込む教育や、本を読ませて知識のみ先に身につけるのではなく、まず体験する事でその事を知り、位置付けも身をもって学んでいくという実質に即したもので、これを100%その社会の中で実践するとなると難しいとは思いますが、人間ていうものを知っているほどに腑に落ちる部分はたくさんありました。もう手元にないのでおぼろげなんですがユニークだったのは約束をさせない、というものでした。なぜなら約束をしたことのない子どもは、約束の大切さや何故守らなければならないのかがわからないから。それで、約束を破ったからと言って怒ったとしても子どもの方は理解していない、そういった大人側が既に知っているシステムを子どもに紋切り型に教え込もうとしたって子どもは身について学ばないばかりか、何故怒られるのかという負の経験のみをすることになり、結局それが蓄積された怒りに変わる…というような話。なんですがこういうのを読んでいても、ルソーが机上のみで勉強する人ではなくよく人間を観察してこまかに感じ取る人だったというのがわかりますね。それから子どもを生来は善として考え、悪なのは社会システムとそれを気をつけて学ばせようとしないこちらなのだという考えが元になっているようです。
人間にとって正しい情緒の働きをもっとも大切にする、そう言う教育です。モンテッソーリ教育にも通じるところがあるそうです。

ゴヤの画集、unlimitedでダウンロードしました。ゴヤは宮廷画家というエリートコースの画家だったようです。その内容から異端審問を受けたりもしましたが出世し最後は「最高の宮廷画家」としての地位を極めたのですが、晩年は聾者の家という別荘を購入しそこに個人的に描いた絵を飾るなどしこれまで宮廷画家としておもに華々しいものを描いていたのとは違った人間の内面の暗い部分のみをえぐりとるような作品を多く残しています。

1819年にゴヤマドリード郊外に「聾者の家」(es:Quinta del Sordo)と通称される別荘を購入した。1820年から1823年にかけて、この「聾者の家」のサロンや食堂を飾るために描かれた14枚の壁画群が、今日「黒い絵」と通称されるものである。

ゴヤ肖像画にも批評精神を込めたり戦争の絵画なども単純に勝利のみを讃えるものではなく「死」「残酷さ」「暴力」を浮かび上がらせるようなものを残していますが、この晩年の絵画を見ると長年貴族の傍らで多くの人の見えない部分を見させられて来たゴヤの内面に自然と蓄積されてあるもの、それが壮大な多くのほか、一般的な人間の存在というものの闇深さを見せられる気がしました。宮廷画家として多くの人と関わるのでない限り見えないような部分もゴヤはきっと見てきたのだと思います。
ブリューゲルをこの間見てましたがそちらも、ひとに対する批評精神が多くありましたが、それを含めても少し前まで見ていた印象派の絵画とは描かれてる部分も、ひとの在り方もだいぶ違うなと思いました。ゴヤも自然から学ぶという言葉を残してるそうですが印象派も、見てるうちこれまでのような格式張らない自然の見方をひとが身につけ描いていく…ていう感じに見えますもんね。そのときに向こうで日本画が流行り、その描き方や構図が新しいとして取り入れられたりとしたそうなのですが時代の流れってこんなふうにいろいろなことをミックスしつつ、既存を壊し、批評しつつもそれを人格でどう内包していくかという流れでもあるように見えます。
ひとつの絵をとっても時代背景などさまざまなものものがあって、その中で時代は違えどわたしたちと同じような感じ方をする人間が描き、モデルとしてもひとが描かれてるんだなあと思いました。



あとはKindleの方で漫画を読んだり…あと「大丈夫マン」も買いました。

こっちは紙の本にて。あとは進撃の巨人をやっと22巻まで読みました。でも連載の方はもう完結してるんですもんね。

面白かったです。