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本のことを書いてあるブログ

進撃の巨人〜28巻まで無料期間(ネタバレ有)

※こちら、あまりに文章が整理されてないため書き直しました。

 

 

進撃の巨人の、無料試読サービスがあったので早速読んでみました。色々と調べてみるといろんな媒体から見られるようだったのですがわたしは登録が不要なebookjapanというので読んでみた。
以前1〜14まで一気に買って読みそのあとは時々レンタル本でチェックしていた気がしたのですがおぼろげだったので今回は15巻くらいから読んでみましたが、ほぼ丸一日くらいはかかってしまいました。以前はアニが捕まってしまい、獣の巨人とユミルの巨人化のあたりで終わってたのですがその後もこんな壮大なストーリーがあったとは…!驚きです。

 

進撃の巨人のこれまで


進撃の巨人、特徴的なのは巨人というのが人間にとって圧倒的過ぎるというところで、序盤まず人がバタバタと死んでいくところが衝撃だったりします。「巨人」というのは圧倒的な暴力の支配、それから謎として人類からは受け止められており、人類は壁という存在に守られている、限られた安全、幸福を享受しながら暮らしています。
情報も手段もない中、壁の外を知ろうとする人間達は立体起動装置という巨人への対抗手段を編み出して、壁の外の世界を探索するのですが、その探索に対する犠牲が多く、無知盲目で居たい市民からは厳しい声が上がったりもします。こんなふうに序盤はずーっと圧倒的な巨人の力、それからそれに敗北される人類の感情というのがエレンやミカサ、アルミンなどの調査兵団を通して見ていく感じのストーリーです。

 

主人公の立ち位置、ストーリーの進み方


で、わたしが読んだところは壁の外、それから巨人の謎が解き明かされていくストーリーの部分なのですが主に「記憶」それから色々な民族の在り方を追っていく感じの話になっていました。人民が見ているのは束の間の幻の幸福でしたが、さらには記憶さえも操作されてしまうという現実。そこに置かれた主人公エレンが特殊だと思うのは、主人公としてなかなか簡単には立派にならないということだったりします。周りにいる優秀な人達の中においてもエレンは体術が得意ではあるけれどそれほどの信念、特技を持っているわけでもなく、常にあるのは単純な憎悪、だったり、あるいは自分でいいのだろうか?という葛藤だったりします。エレンを始め動かしていたのは巨人に対する憎しみで、それから現実や仲間と対峙することでちっぽけな自分を意識しながら何とかそれでも進んで行こうとする感覚で描かれています。ここがリアルで共感のできる部分なのかも知れません。そういった主人公が世界を切り開いていくため、だから善悪というのが簡単には明らかにならず、ある意味で泥臭さだったり仕方なさみたいなものが多く、また仲間の助けも多く必要になってきます。


戦争を描いているものは多くありますが進撃の巨人は残虐をねちねち描くのでもなく強い主人公の爽快感を描くのでもなく、リアルさとそれから主人公達の感情の絡み合い、で、人間というのがこちらの社会の縮図のように迫ってくる感じがあると思います。仲間たちという社会、それからその上にある巨人のいる世界、その先の、見たことのない本当の世界。すべてと関わり合い知ることによりそれがのちに徐々にひっくり返されてゆき価値感は揺らいでしまいます。
という感じ。わたしは「アルミンが死んだ」と聞いてたのでショックだったけど集中して読んでいたころからはだいぶ時間が経っていたので思い留まってたのですがあんなふうになってたんですね。よかったです。

 


ユミル以降


ユミルのあたりで巨人というのはもしかすると元人間なのかも知れない、というストーリーが描かれ始めましたが今明かされたのは巨人というのは流刑として捕らえられた迫害される民族の変わり果てた姿だったという事。その巨人の力は今は特別な支配力としてほぼエレンを含む限られた人間の手に渡り、支配すること、される事を両側面から描かれるのを見ているという感じです。例えばそこで描かれているのは、戦争をしている両者は置かれている立場が違うだけで、中にいる人間というのがさまざま色んな人がいて、そこはやった、やられた、悪も正義も色付けして判断できないということが語られていますが、これは手塚治虫どろろでもある日突然二つに分かたれてしまった村としても描かれていて、戦争というものの本質にはそういう性質があるのだと思います。
なかなかそれは難しい事だと思います。人間というのは個別の記憶を持っていて、それは例えば全く同じだったとしても身体や性質という器官を通して「出てくる」段階ではまた別物になったりもするものなんだなあとも思ったし、なかなか分かち合うの方向に行かないのは身を守るだったり何かを進ませたいだったりする感情が強くなっていると尚更そうです。戦争それ自体はどちらかから辞める事がなければずっと続いていくのかもしれない。子どもの喧嘩なんかを見ていてもそう思います。割り切れないもの、っていうのはあるのかもしれないですね。負けるのは本当に難しいことです。負けても本来大切なものは死なないと思えることが何か別次元の強さとしてあることも、さまざまな価値観が存在しても良い世界でなければ難くなってしまうと思います。


そんな中エレンがどんな風に変わったのか、これから出てくるストーリーで目が離せないところだと思います。仲間のため、というのもあるし、自分のため、というのも無いわけではない。けれどライナーを通してもその信念なんていうのは立派なものじゃないんだというのを突きつけられているような気がしました。ちょっと思ったんですが、ライナーは始めいい奴だったので読んでいるこちらも葛藤がありつつ追っていたけど、あまりにも生き返り過ぎるので最後の方「いいから、もう死んでくれーーー!」って思って読んでませんでしたか?何かやっぱり主人公側に肩入れしてる部分が自分にも沢山あるんだなと思いました。全然喧嘩両成敗とかではなかった。(わたしが)

 

 

 

おわり


進撃の巨人、ゲームやスピンオフなど積極的にばしばししている印象なのですが、作品自体はずーっと同じクオリティで面白いのですごいなと思いました。ウィキペディアを見てみたらハリウッド化という情報も…

 

進撃の巨人 - Wikipedia

解説が詳しい。

 

しかしこういう物語だったり、新しいミュージックだったり、さあ読むぞと思ってもなかなか腰が重かったりするあの感覚は一体なんなのでしょうか。小説でも同じように、読めば確実に楽しめるのは分かっているのに没入するまでにある躊躇いみたいなおっくう、みたいな感覚…プール入って仕舞えば楽しいのに、入るまでは体が冷たいし、慣れないうちの拒否反応というんでしょうか。
現世止まりたいみたいな。

今回も無料という事で即、読もう!!!と思ったのに朝からそれが億劫で仕方なかった。本当にどうしようもない人間だな。

 

しかし「立体起動装置」なんてよく考え付くな…と思いませんか?戦車でもなく、武器でもなく、人類が巨人を倒すためには立体起動装置でうなじを切り落とすしかなかった、というところに進撃の巨人の序盤のストーリーはぎゅっと詰められていると思います。