名前を付ける

本のことを書いてあるブログ

iPhone XR

 

色々あってiPhoneの最新機器を買うはめになった。

前の機種は五年近く使っていたのだけど、そこからの進化が凄すぎて「何これ…?」なことがたくさんあった。

 

 

●顔認証システム

新しいiPhone指紋認証ではなく顔認証になっている。わたしはこのことにびっくりしすぎて、世間話の中にドラえもんの世界観が突如あたりまえに現れたような気がしてしまった。

 

iPhone指紋認証や顔認証というのは精度が高いなあと素人ながらに思う。なぜなら最近買ったノートパソコンの指紋認証が五回に二回くらい失敗しログイン出来ませんになるからである。

 

 

●パスワードを記憶してくれる

 

なんと新しいiPhone、パスワードを設定する場面で「強力なパスワード」の候補を自ら提示してくれるのだ。提案「○×wizodbwuqksofb」みたいな。

これを、iPhone自体がなんと自らの申し出により記憶し、さらには前出の「顔認証」でもって取り出してくれるのである。まさに至れり尽くせり。バカもってこいのシステムであった。

 

けどよく考えてみると、このiPhoneが死亡してしまったらシステムもろともパスワード全部全滅ということにもなりかねないので、やはり重要なもの、それからいろんな機器でログインするものは自ら設定して筆記でメモしておくことが必要そう。

 

●な、な、なんと!イヤホンジャックがない…!!

 

イヤホンジャックが、ないっ、ないっ、どこにもないっっ。とわたしはiPhoneをグルグル回しながら探してみた。どこかに「隠し扉」があるのかもしれないと思って指を這わせつつ四辺を探したが、ない…

ないものを探すとき、どうして人間はこんなにも心もとない気分になるのだろうか。「ひとりにしないで…」みたいな感じ。

とにかくiPhoneを縦に何周回してもイヤホンジャックは見つからなかった。

 

調べてみるとイヤホンを使用するためには別売りの接続コードが必要(それを充電差し込むとこにつなげて使うらしい)らしい。なんとアップルはiPhoneからイヤホンジャックを排除してまったのである。

iPhoneの挑戦的なストイックさに驚いてしまった。

日本ではこういう事はしない。むしろイヤホンジャックが二倍、三倍となっていくようなシステムだった筈。

 

 

 

 

とまあ、とりあえずはそれだけだったりする。

 あと、顔認証は他人が自分のiPhoneを持って顔に向けた場合でもその精度の高さが災いしてカギが開いてしまうようです。なので人質に取られた時や浮気の現場を押さえたい人が居るときなんかは指紋認証よりも簡単にスマホをのぞき見されてしまいそうである。

 

最後に・・・iPhoneという次世代機器について

 

今日、どうしても直らない不具合がありアップルのカスタマーサービスへ電話をかけて聞いてみたのだけど、そこでいろいろな説明のあと「では、画面を共有します」みたいなことを言われて黙って待っていたら自分の持っているiPhoneの画面にその人が指し示す矢印➡みたいなものが現れてわたしのiPhoneの画面上をうようよと動き始めたので驚いてしまった。

なんとアップルは人のiPhoneに侵入して画面を覗いたり入り込んだりできるようなのである。もちろんパスワード入力の場面など個人的な情報の見えてしまうときは「共有を停止します」みたいなくだりもあったけど、そんなの単なるフリでしかない…。

 

たとえば個人の作っているアプリなんかもどんなふうに向こうで扱われているのかもわからない。そう考えると個人情報というのは常時ダダ漏れのようなものですね。

「だろうな」とは思っていたけど、もはやそれを知っていて裸の王様に全員がなるべくしてなる…みたいな時代なのだろうか。

 

サービスの係りの人は良い人でした。というか、返事がお寿司屋の店員さんみたいだった。ハイッハイッハーーーイッみたいな。

吾輩は猫である/夏目漱石

吾輩は猫である夏目漱石

 

おなじみの、まんがで読破シリーズ。もう何の抵抗もなく読んでいます。

これは原著で何度か挑戦していますが断念した記憶のある本です。タイトルがほかの夏目漱石作品よりも読みやすそうなのでたぶん手に取ったのだと思いますが、ストーリーの本筋が分かりにくくて途中で何度も挫折したのである。猫出てくる意味ある・・・?みたいな。(おいっ)あ、そうだ、この鼻の大きい女性というのは聞いた記憶があった。たぶんこの辺で止まっていたのだと思う。

 

こういう本を漫画にする、って画期的だなと思いました。まずイラストで日本家屋のたたずまいがぱっとつかみやすいのと、主人公と個性的なキャラクターもイラスト化されていてわかりやすい。その中で猫が部外者というわけでもなくなんとなーく、うろうろしているという感覚がつかみやすかったです。なるほど、これてっつまりは、随筆のような話なのねってことがようやくわかったわたしである。

こんなふうに全体像を説明してもらってからストーリーに入るとつかみやすくてお話から落ちこぼれなくて済むんだなあと感じました。これ以後だと原著のほうも読み出しやすそうです。

はい。

 

それから、夏目漱石が「吾輩は猫である」を高浜虚子が継承した俳句雑誌ホトトギスに掲載していたこと、ほかにも正岡子規へのつながりなどもわかりました・・!無知!あまりにも無知!しかし目からうろこでした。あのへんの文学関係者ってこうやってみんな相関図の中では線いっぽんで結べそうなくらい固まっていたんだなあーと思った。私の好きな小熊英雄はあまり出てこないけど、そんなふうに文学界でも「花形的存在」それから「日陰的存在」がいたりするのかもしれない。(それは決して作品の良しあしではありません)

 

 

吾輩は猫である」はまじめくさったお話ではなくて肩の力を抜いて読むのがよさそうな小説です。

いろいろな人物が出てきますが、おそらく主人公は夏目漱石本人、それとその周りをとりまく人との話ということなのかも。すみません、もし違ったら教えてください。えっ、これが高浜虚子なの・・・?みたいな人物も出てきていました。昔から、著名な人たちはこうやって一か所に集まって議論をしたり、もしくは関係ないことをしたりしてお互いに刺激を与えあっていたのだなあという雰囲気が伝わってきました。

主人公本人の人物像も面白いです。ふだんの小説では垣間見ることのできないような下世話というかユニークなエピソードばかりで、人間味があふれています。文学を作り出す礎に、まず生活があり、その生活の部分はいかようにもデフォルメしがたいような生身のヒト感があるんですね。いや、夏目漱石自身がそういうことを面白がりたい人だったのかも。

 

最後はなんと、猫が水がめのなかにうっかり落ちて、溺れ死んでしまうところで終わりになります。死んでしまうときの描写がなんとも詩的で、生活感、人の中でもまれたりそこからはみ出して生きていく人の説明しがたい感覚を含んでいるような感じがしました。

この本は漫画の描き方もすばらしかったため読みやすかったです。

やっぱ、強弱ですよねー・・・勉強になった。

 

個人的にはスパイの存在が気になりました。今も昔も、こんな風に情報を盗んだり伝達するために働く人ってたくさんいるんだろうなあという。人間関係っていうのはおもしろく、めんどく臭いものなのかもしれない。

アンナ・カレーニナ/レフ・トルストイ

アンナ・カレーニナレフ・トルストイ

 

またもや漫画で読破で読了。

「まんがで読破」シリーズなのですがAmazonアンリミテッドにて続々放出されています。今回チェックしてみたら「こころ」や「斜陽」なども追加されていました。要チェック!

 

アンナ・カレーニナ

アンナ・カレーニナは、美しい淑女アンナが兄嫁の離婚を仲裁しにモスクワを訪れるところから始まります。

そのときキティと、キティに結婚を申し込むはずのヴロンスキーという若者がいるのですが、偶然にもヴロンスキーとアンナが駅で出会い、ヴロンスキーはそこでアンナに対し新しい恋に落ちてしまったもよう。いっぽうでキティに恋心をつのらせるもう一人の男リョーヴィンは、キティに求婚するもヴロンスキーを想っていたアンナからは「返事ができない」と断られます。

このへんは物語のキモらしく、この時代の女性像と男性像というのが読める部分だと思います。とにかく女性は、「待つ」ことを自らの在り方だと思っているし、そうして男性の求婚を待つことでしか人生を変えることができないようなのです。

 (リョービンは後でキティに求婚することでその恋が成就するのですが、その間の二人の複雑な感情は人間的だなあと思います。一+一=二でないときもある、みたいな。愛情というのは冷凍保存できるものなのかもしれない。)

 

そのときは義妹の仲裁をする役目を全うしようとしていた家庭に従順なアンナは、ヴロンスキーからの熱い目線を無視して家へと戻るのですが、その後社交界を通じて次第にヴロンスキーとの仲を深めていきます。

このへんの出会い、それからヴロンスキーの性格なんかは林真理子の「白蓮れんれん」を彷彿とさせるものがあります。ブロンスキーの、若くて熱意にありあまる一途な恋。それゆえ人妻であるアンナとヴロンスキーは社交界からの邪推をも差し置いて燃え上がってしまいます。淑女だったアンナも次第にブロンスキーとの恋に溺れ、なんと夫と住まう家へブロンスキーを呼んだりなど、目に見えて恋へと墜落してゆきます。

アンナには一人息子がいて、アンナはその子を目に入れても痛くないほどかわいがっているようです。「息子と、ブロンスキーを同じくらい愛している」というセリフも。しかしアンナは、夫に対しては冷たい感情しか持ち合わせていないようです。

 

物語が後半に向かうにつれて関係性は大きく変化してゆきます。

世間体を気にしてアンナの口封じをし、すべてをなかったことにするよう促す夫。かなり寛大な処置だといえますが、その一方で、ヴロンスキーの子供を身ごもるアンナ。このへんにくるとアンナに突っ込みを入れざるを得なくなってくる。夫は時間をおけば熱も冷めるだろうと感じているようですが、絶対ヴロンスキーみたいなバカよりも夫のほうが大人のように感じましたが、なにしろヴロンスキーは「見目よろしい」ようなので恋に溺れているアンナには冷静に人間性というものを判断することができないのです。(このへんまんがなので詳しくは理解してるとはいいがたい)そして、お産。お産のとき、アンナは死にかけてヴロンスキーではなくなぜか夫を呼びます。そこで二人は再び通じ合い、夫もアンナへの愛情を取り戻したかのように見えましたが、結局は別れることになります。(えっ、なんで?っていう感じ)

その後ヴロンスキーと暮らすことになったアンナですが農場の経営が成功しだしたブロンスキーに対し、社交界や家庭、名声などすべて捨ててまで手に入れたブロンスキーに対する愛情の深さ、それから嫉妬、執着の強さからその関係を自ら壊すようなことばかりしまい、息子に対する愛の深さから離婚もなかなか進みません。最後は行き違いのため、アンナにとってゆいいつ最後の拠り所だったヴロンスキーへの愛まで見失い、身を投げてしまう・・・という終わり方でした。

ちょっと今回は漫画に癖があったかもしれない。キティの髪型とか名探偵コナンの蘭みたいにタワー状になってたり何かしら不安になる感じがありました。

 

感想

感想を書くためにwikiを見てみたのですがブロンスキーの拳銃自殺未遂とリョービン&キティの結婚のくだりを書くのをまるまる忘れていたようです。。

まんがに描かれているのはアンナの自殺の部分だけですがその後ヴロンスキーが兵役したりリョービン夫妻の幸福が描かれていたりなどしていて人間的な欲求に溺れてしまったアンナ達との対比としてあるようです。

 

なんというか女というのは「愛憎に溺れる」のが似合っている生き物なのかもしれないですね。文学でもそういった、愛について回る嫉妬、憎悪、執着のような沼の部分をただひたすらに描いているものが多くあります。昼ドラのような・・・自分はそういうのをあまり読まないのですが。詩歌でも女性のものは観念の世界にたやすく入って行けるといわれていますが、そういった増幅しやすい感情を蓄えた生き物として女性があるのかもしれません。ヴロンスキーも勢い余って拳銃自殺したりなどしますが本当にこのへんは若くないとできないものだろうし「こわい」という感情で読んでいました。

愛し合う二人にしかわからない部分でしょうか。自分としては「SAMURAI」みたいにむしろ娘をかばって死んでほしい方なんだなと思います。それこそが男の中の男・・・!「女をかばって自分が死ぬ男」、こういうの「天使な小生意気」にも二度ほど描かれていましたがあのシーン思い出すと本当今でも泣けてくる。

 

しかしそんなこんなでアンナに対してどことなく共感できないままで読み進めてしまった感じがある。

 

 

「不倫」について書いてあるものは非現実的でドラマチックで面白いのかもしれないですが、たとえば、この間読んだ本にあったほかの夫との子供をずっと育てていた妻の感情なんかはわかる気がする。そういったことは自分だけが知っていればよく、葛藤や罪の感情を感じているからこそ共感を呼ぶのだと思います。周りの世間や人間関係を壊してまで為そうとするような愛情に対しては自分の場合やはり共感を見出せないというか。

例えば愛情、性欲についてもそれは結局食欲のように一定期間を経ればなくなるもので、周りが見えないくらいに燃え上がっているものならばなおさら、ほぼ100パーセントそれは自分の目だけにしか見えない勘違いの部分にあるのだと思う。

そういったものを拠り所にするのは人としていかにも頼りない。

 

そう思う一方でたとえばそれがもうほぼ割り切ったもので誰からも迷惑かけないで進めるんなら不貞というのは大人としてはありなんじゃないかとも感じる。まあ、大きな声では言えないですが。むしろ、一人の人を最後まで愛せるということなんてありえるのだろうか。間違えてしまったこともたくましく最後まで隠し通そうとする気概こそが真実なんじゃないかなあ、と思ってしまいます。自身の後ろ暗い部分を世間と折り合いをつけようとしたり隠そうとしたりゆらゆらしている時点では未だ、子供の遊戯と違わないのでは。いや、でもそういう意味でアンナは一途だったとも言えるのかなあ・・・

そう感じるのはもしかすると日本人的なこころなのでしょうか。

 

ja.wikipedia.org

 

なぜかwikiを貼って、終わりです。