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本のことを書いてあるブログ

アニメ鬼滅の刃を見た

Amazonプライム・ビデオビデオで放映されている鬼滅の刃のアニメを見た。ジャンプで連載されている方を、わたしは途中から読んではいたのですがアニメで序盤の方を見ると面白く引き込まれました。ちょっと前にドクターストーンも見たんだけど面白かった。漫画のアニメ化…というのをほぼ見ないで生きていた最近だったけれどアニメ化って偉大ですね。最近見たもので記憶にあるのは、リトルウィッチアカデミアまどマギなどですがなんていうか先が気になるっていう感覚を久しぶりに思い出した。

 

とびとびで見たため、ストーリーを正確に把握出来て居ないのですが主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)が鬼化してしまった妹を連れながら鬼殺隊という隊の仲間と共に鬼を退治する、という話。

 

「鬼」というものは古今東西描かれてきた事柄かもしれない。例えば進撃の巨人だったり、どろろでも「対 化け物」という構造は少年漫画ではよく見られるお話だけれど、鬼というのは破壊神みたいな感じで描かれるものが多かったと思う。非人間的、パワー、あるいは、欲の権化的な。この鬼がほぼ人間の姿、というか場合によっては「人よりも強く 美しい」鬼というところに恐ろしさがあるような気がした。鬼の女の子とかも居ますがなんていうか強くて破茶滅茶というんでなくきちんと哀愁や涙も持っていて、場合によっては鬼の方が綺麗なのでは…とまで思わされる。

進撃の巨人でも、人型の巨人から圧倒的な力を見せつけられ恐怖する人間が描かれるのに対し、こちらはなんというか、「生きようとする正当性」を奪い尽くされながら死んでいくように思える。それは人対人とも違う、対化け物とも違う、なんていうんだろう。進化を終えた自分達と、何も掴めなかった自分達…そういう、ある意味では同一線上に乗っかっているような残酷さがあります。なので戦う人間の方には鬼同様になるための強さを会得する為のストーリーがあります。一方で、鬼も鬼としてある為の過酷な過去を持っており、強者は強者の理を持って生きていて、弱者は弱者の理を持っていて、その当たり前が時に自然界の食物連鎖のようななんの理由もなき残酷さにも映る。何かその「強い」ってだけでそれは「怖い」なんだなっていうのが鬼が人型であることでより考えさせられる部分がある。どちらにせよ生きるという闘争のなか生臭く沢山の犠牲を消費し続けている、というそういう戦いとして描かれています。

けっこう漫画の方も死ぬシーンが多いのでわたしはたまに読んでいる感じ…今の漫画はなんていうか、エッこの人が死んじゃうの?というのがけっこうあって遣る瀬無いですよね。一日くらい落ち込みそう。

 

炭治郎達や鬼の着ている服が着物っぽい日本的ノスタルジー情緒があるのも良いです。