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本のことを書いてあるブログ

どろろ(手塚治虫)/どん底(ゴーリキー

どろろ

 

今日は唐突に、手塚治虫どろろを取り出して来て読んでいました。どろろは以前映画化もされていましたね。

物語は父親の醍醐影光の陰謀のために48体の妖怪に身体の大部分を生け贄として捧げられ、不自由なままに生まれた百鬼丸と、その百鬼丸の持つ剣を狙う小泥棒どろろとの二人が百鬼丸の体を取り戻すべく旅して回るという話。

物語は百鬼丸を主体として進みますが、昔読んだ時も「なんで《どろろ》なんだろう」と感じて読んでいたのですが、今回はどろろにも感情移入しながら読み終えた感じです。どろろと百鬼丸は何度か村を襲う妖怪を退治し、感謝されるような展開になるはずの時も、こそどろで身元不明という理由のために感謝もされずにつまはじきにされます。それを幾度も繰り返し、どろろというのは「世間からまったく受け入れられない不幸な子ども」というキャラクターで描かれています。あとがきでもありましたが百鬼丸ブラックジャックに通じるような性格もあるのですが、どろろピノコ的なキャラクターですね。そして手塚治虫が描く「不幸」、それからそれを受け入れながら生きる人物像、これは漫画の良さが詰め込まれた描写だと感じました。愛がありますね。百鬼丸が活躍するいっぽうでどろろが毎回のように拷問されるシーンはもはやお約束のようになっており、「どろろ、おまえなんでも食べるな…」の台詞には笑ってしまいました。

物語の最後を覚えておらず、未完だったのかなと思っていたのですがちゃんと完結していました。けどまだ展開は出来そうな感じでしたね。続いていたとしたらどうなってたのかなというのも興味があります。

 

どろろ 1

どろろ 1

 

 

 

 

どん底ゴーリキー

 

まんがで読破シリーズです。タイトルからして不幸満載の話しかと思いつつドキドキしながら読み始めた「どん底」ですが、なかなか深かったです。やはりは古典は良いですね。こちらは原著でじっくり読んでみてもよいかもしれない。印象的な台詞は、「人生は義務として見れば地獄、娯楽として見れば天国」…それから人間というものは善でも悪でもなく、その時によって変わりうるものであること、あとは虚構、嘘について描かれていたのは自分からすると新たな発見が多いにありました。救いはないかもしれないですがこういう展開は現実でもありそうです。自分ひとりのこころを拠り所としていればいいんだ、という捨て台詞は真を突いているようにも思います。

 

嘘、あとはフィクションについて…

 

フィクションというのは「いま、ここ」に手の触れられる性質であるものではなく、なので現実の処理が多くある時には取捨選択されてしまう部分だなあと感じていました。特に自分の場合はいち生活者なため、そういったことに没頭することを何か水もの、あるいは贅沢のような自己追求(悦楽)のようにも思ってしまいがちでしたが、そんなふうに「遊戯」「義務」とバッサリと区切ってしまうものではなく、普通に現実のなかにも例えば目標、夢、会話、理想、そういったことに嘘はたくさん紛れ込んでいるのかもしれないと感じた。

「見えないもの」に関する対話、というのはなかなか幼い頃からされないことが多く、もしかすると子どもがかっつりゲームやアニメにはまり込んでしまうのも、そういったフィクションの心地よさが足りてないからなのかもしれないなあと思ったりもします。(もしかするとどこかの本に同じことが書いてあったかもしれない…?!)

 

フィクションというのは、こころが存在するという前提のあるときには必ず必要になってくるものなのかもしれないですね。

 

それについて公平性を持って描かれているものを読んだのって初めてかもしれません。まんがは描写があと一歩で楳図かずお的になりそうなすれすれ感が面白かったです。