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本のことを書いてあるブログ

ゲームそれから感情を失う事

スマホのゲーム

 

ここ最近(といってもこの間確認して五月からのたった三カ月しか経っていなかった事に驚いた。)は読書ばかりしていた。仕事と仕事のあいま、台所にいるとき、移動中、全て文庫本かKindleを開いて時間を潰していた。

そうなると、もし本がない時に空き時間、待ち時間に手持ち無沙汰になってしまうことに気がついた。これは、普段たばこを吸っているのにそれがない時のような感覚に似ている。何か代わりになるものを探してみたがとにかく「本」でないものがなかなか見つけにくくなってしまった身の回りにもはや置かれていた。…というわけでわたしはスマホのゲームをものすごく久しぶりにやってみることにした。スマホのゲーム、ことごとくすぐさま飽きてたまにやっていたのはツムツム、農場育てる系のやつのみ。

とりあえずキャンディークラッシュと、おなじJUNGのソルガードというやつをダウンロードしてみた。

※あとで気付いたが、Kingでした。

友人にゲームにはまっている人がいて、その人たちを見ているとSwitch、スマホのゲーム、それからYouTubeとかもけっこう見ているのだけど、わたしの場合それをほとんどやらない。だから、ゲームをやる人達を馬鹿にして見ていた。なんていう、時間の無駄なんだろうか。ゲームをやったとて、現実世界で対価を1円でも受けられるわけではない。それに、いろんな興奮ホルモンが湧いているのを見ているあいだ、「こいつら、やべえな」という視線すらもっていた。あたかも、「雲」みたいなものを酒飲んで踊りながら掘っているような。ゲームは、やっていない人からやっている人を見てる時は「時間を食われている」ようにしか見えない。ゲーム会社の策略にハマって時間を費やして人生を捧げてしまっている。

けどやってみると、けっこうストレス解消になりますね。いちどゲームをやってしまうと、なんていうかやっぱり、本を読むのってけっこうストレスそのものなんだな、と思えてきたのである。特に小説。なんか本当に、なんであんな「人間」という面倒臭いものをわざわざたったひとりで噛み砕くようなことしていたんだろうと思ってしまったりもします。

なんでお前を噛み砕かなきゃならないんだよみたいな。

 

で、ゲーム、最近のやつは昔のファミリーコンピュータみたいに鬼ゲームみたいなつくりはなくて、キャンディークラッシュも今わたしがやっているやつは、プレゼントが時々配置されていたり、別に困ってもいないのにキャラがヘルプしてくれたりするので進みにくさはほぼない。ただ、わたしはキャンディーが消えていくのを見てるだけなんだけど、いま、確実にこの瞬間ストレス解消されていってるなという感覚があります。キャラが増えていくという所有欲求、それからばんばんパズルと敵が消えていくという快楽、優越、そんなもんまやかしと思っていたこの感覚だけれど、「享受する」の方にいまカーソルを合わせてみるとフツーに、ああこれって、ストレス解消になるなって思った。

 

 

 

無くなるについて

 

例えば、関係性や気持ち、希望みたいなとりとめもない何かというのは永遠にあるわけではない。そう言うと「そんなもん当たり前だ。おまえはいつも人から愛想を尽かされているのだ」と言われてしまいそうだが、ちょっと待ってほしい。嫌いとわざわざ言いにくる人と、リアクションさえしない人がいること、それから、仲よかった人がもう仲良くしてくれなくなる、これは似ているようですべて全く違う。リアクションさえしない…関わらない、存在を消してしまう。恋愛においてもう好きじゃなくなったからごめんみたいなものはもっとずっと、不意に訪れるような気がする。人の気持ちというのは不意に湧いてきて、そして無くなるときはフェードアウトするように静かなのだと思う。

たとえば、ツイッターやめる宣言とかも、宣言する人はなかなかやめない。わたしの知っているYというアカウントの方も多分二回くらいはやめる宣言をしていたけど、一ヶ月もたたないうちに再開していた。なんていうか、戻ってくるまえに多分この人の場合は「声」が聞こえてくるんだろうなと思った。「誰かが呼んでる…」みたいな。だから彼の場合、辞めたかったというよりも、身体的に内外からの拒絶反応の方を大きくしていった状態で、「やめる」と気付いたら口が発していたのだと思う。

 

信頼、友情、愛情、公平性を保ちたいと思う誠実さ、そういう気持ちというのは実はもっと細く伸ばされた糸が伸びきって、それが気付いたら切れていたみたいに、失う時にはなんの音もなく失っているものだと思う。存在の確認をするような「嫌い」はじつは「好き」と言っているのと同じで、本物の拒絶というのは風の便りで人づて知るような、そういう冷たい死ぬ時のような温度で知る。もう取り戻せない時間の膨大さとともに不意にやってくる。そうなってしまったら、もう死んだものは生き返らないと同様に、何もかも絶対に帰ってこないとわたしは思う。だから、他人をバカにしてはいけないのである。

その相手は、そのあいだもう何度も心の中で「限界だよ、もう」と声をあげていたのだろう。それに、一度も気がつかなかったって?けどそれは皆、音もなく経験しているのかもしれない。きっと人間って皆が皆、それくらいに傲慢なのである。