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本のことを書いてあるブログ

田辺聖子「とりかへばや物語」を読みました

とりかへばや物語

関白左大臣には2人の子供がいた。1人は内気で女性的な性格の男児、もう1人は快活で男性的な性格の女児。父は2人を「取り替えたいなあ」と嘆いており、この天性の性格のため、男児は「姫君」として、女児は「若君」として育てられることとなった

解説はWikipediaとりかへばや物語 - Wikipediaより…


とりかえばや物語 (文春文庫 た 3-51)

とりかえばや物語 (文春文庫 た 3-51)

絵がスゴい…

こちらの物語、少女漫画の方でも出ているものがあり気になっていたのですが、田辺聖子さんの文庫本のものを購入。実際は女性なのですが男性的な性格で男性的なやり取りに興味を惹かれる春風と、実際は男性なのに女性的な物腰であり女性的なやりとりに馴染んでしまうという秋月というふたりの異母兄弟を軸とした物語。もっと二人が交流するのかと思って読んでいたのですが、二人が関わるのは最初と後半の春風が女性に変わっていくという物語が展開する部分からで、二人は良い兄妹として互いに信頼し合う関係のようです。

読んでいて思ったのが、平安時代の文化や設定がもはやファンタジーであること。ファンタジー…ありえない設定、ありえない展開に埋没して感嘆しながら読んでいくのは、楽しいのです。わたしはこれから時代小説を読み漁ることになりそう。
それから、林真理子さんの著書でも読みましたがこの見目麗しい人たちばかりが登場し、人々からの尊敬をわしづかみにしつつ交流し、ほだされる女子とぐいぐい行く男性と、そこに残り、互いを引きずるような情感を匂いや佇まいの記憶で語る、ような雰囲気は田辺さんの好みとかではなく多分原文から来ているのだなと思いました。こういった皇族の物語に出てくる人たち、なんだか少女漫画にも類するような物語の展開がありますが、あくまでそれは身分の高い人に対する尊敬の意もこもっているのだなあと、あまり邪推はせずに読みます。ドラえもん見る時みたいな感じで。

物語はおだやかに進みますが実際は不倫により別の男の子どもを産んだりなどすごいことが書かれています。それは人間というもののリアルな営みが狭い場所で行われているのならあり得ることなのかも??実際の性的やり取りは書かれてないものの結構ずーっとそういう、情感、性愛についての表現は出てきます。これは顔を合わせて会ってやり取りをしていないからこそ想像の部分たくましく結局そればっかりになってしまうみたいな「かくす」文化にあるのかなと思います。こんなふうに、誰の子なのか分からないままやきもきするのも実際にあればとんでもないことなのかもしれないですが、なにせファンタジーなので楽しく読めてしまいます。中に浮気男の夏雲なんかも出てきて、春風や冬日の人生を掻き乱しますがこの辺の春風とのやりとりもなかなか読み応えがあります。いつの時代も求められるのは貞操観念であり、たった一人を尊敬し、生涯愛し続けるという意識のようで、時代を経ても理想は変わらなさそうです。この時代は、一夫多妻ではありますが、夫は妻それぞれに家を建てたりなど世話をして、愛情を示します。それによって周りの人からも心優しいお方だと言わしめ、尊敬を得るような意味もあるのでしょうが、こんなふうながっちがちなルールと下の愛憎、邪推たくましくなりつつも結局は主人公たちの真意みたいなものが汲まれる物語を読むとそれは結局王道だよね、テンプレだよねと言われようともやっぱり「ああ、よかったな」という気持ちになりますね。最近、ブラックサイドに堕ちてしまったみたいな漫画を読んだりもしたのですが支離滅裂でよくわからなくって、こんなふうに何も考えずに巻き散らかす表現ってそれがたとえ真実であっても人を不快にさせるだけなんだなとわたしは思った。いや、オブラートに包まないでやる。という人もいるかもしれませんが、荒い表現を人はどんなふうに受け止めるか…表現する、おわり。だけでなく「受け取られたその後」含めてもしかすると表現といえるのかもしれませんよね。

こちらの本では秋月よりも春風の男性的な佇まい、それから葛藤の方が多く扱われていて、男女の機微や心理変化なども面白く描かれています。春風も秋月も優秀で、何かをするにつけすぐに人の感心、興味、尊敬を得るため、それがひいては春風が男性としてここへ止まることを望ませるものでもあるようです。春風の内心のたくましさというのは、男性と触れ合うことで次第に内面から女性的な心理が引き出されてきて、ついには髪の毛も伸ばし、佇まいも女性に切り替えて女性となってしまいます。浮気者の夏雲は「それが自然なことなのだ。望ましいことなのだ」と言いますが、春風からは異性的なやり取りに対してだらしないことを「底が浅い」と最後には切り捨てられてしまいます。結局、春風は身分の高い帝からの寵愛を得て、女性としての喜びを得てどんどん女性らしく、それから幸福になります。そして、最後の夏雲のひとこと…!これは原作にもあるものなのでしょうか??笑いものになってしまってかわいそうではありますが、物語としては、よかったよかった、と言えるような明らかな悪者の存在も重要かもしれません。悪役は、魅力的で「わかる」っていう部分があるほど光るし書くときも楽しいんですよね。こんなふうに色んなもので覆い隠されたなかでやり取りする男女のさま、平安時代のありえないファンタジーの設定が面白かったです。

わたしの中では春風はなぜ、そんな性質を持っていたのかなというのと、冬日に対してもっと葛藤しないのかなというのが気になりました。古き良き◯◯像が求められながらもこういったものを書く作者もそれに疑問を抱いていたからこそこんな豊かな物語が生まれたのかもしれません。人の心は時代を超えてこんなふうに残っていくのだなと感じます。