名前を付ける

本のことを書いてあるブログ

日本の女性像について今考えている範囲で

先日手に取った、「ジョゼと虎と魚たち」を今読んでいるのだけど面白いです。作者の田辺さんの文章が、ユーモアがありつつも独断的でもない、いろいろなことに配慮を配りつつ生きるやわらかく、明るい女性・・・という感じで、そういった人が見ている世界というのを文章で読みながら、ああこういうのを自分はもっと早く読みたかったなあと思ったりした。

なんというかこういう、女性の生き方を読まされるとき、特に意識しているわけではないけれど、うんざりさせられることや疑問を感じることも多い。それは女性だから(もともと、互いのフィールドを比較し寄り集まって生きてしまうものだから)というのもあるのかもしれないけど、メディアでよく茶化されている下卑た女性像やマウント合戦というもの込みでどうしてもどういう切り取られ方をしているのかについては気になってしまう。メンヘラ、恋慕、つらい主婦像・・・そうでならなければならない理由って一体何なのだろう、と読みながら思う。やっぱそれは伝える側の弱さや偏った視点からきているのじゃないだろうかと疑ってしまうのだ。

ちょっと前に角田光代の「笹の船で海をわたる」というのを読み、途中で断念した。これは、女性同士が近くに居すぎることで起こる確執みたいなものが自分は好きではないため単に読むのが面倒くさくなったからだった。そのあとでたまたまその作者をぼろくそに言っている人を見、その人はあの角田さん独自の低空飛行的な文章に何かが損なわれるかのような気持ちになったようだったけれど、私はそれは少し違うと思った。角田さんの文章、小説というのは人が通った道筋というのに忠実で嘘がなく真摯に常に書き表されていて、それは小説を書いていくうえで大切なことだと思うし、そこには確実に角田さんという文体があるように思う。

そんなふうに考えてみたりする。で、あと女性の書いたものといったらずっと印象に残っているのは筒井ともみさんの「食べる女」で、こちらは田辺さんと少し印象が似ているかもしれません。なんというか、縛られすぎてもいない、フリーダム過ぎるわけでもなく、感情がきめ細やかで断罪しないですよね。「いろいろあってもいいんだよ」っていうのが裏にふわっとある、というか、こういう感覚はいろんな経験をしてきてもフラットで居られるという女性ならではだなあと感じます。あの短編はことあるごとに思い出される。

それから江國香織さんの物語が感情の琴線に対して繊細に触れてくるし、感性やあの文体は江國さんにしかないのだろうなあと思う。綿矢りささんの個人的な恋愛なんかもかわいらしく独自の人格がちゃんとあるのが良いと思う。超個人的体験、というのをそうやって文を通してみたとき、何かそれに対する領域みたいなのは思い出のような図として溜まって行く感じがありますね。

まあそんなこんなで、面白いものもたくさんあることを最近は知りながら、それからやはり男性が自分勝手に女性というものを評価吟味している場面、だったり小説に出くわすと、ちょっとちょっと、わたしたち女は、男から評価されないとだめな存在なんか?と思わされてくるのだった。男から評価される女、なんて、きれいかそうでないか、あとは使えるかそうでないか、若いかそうでないかでしかなくて、さすがにもっと配慮してほしいし、人生経験してきてくれよと思わされる。なんていうんですかね。常に、下の者としか接してないからなるんでしょうか?実際、そういったことよりも生活において考えることややることはたくさんあるし、いつもヴォーグとか読んでCMにあこがれているような人ばかりいるわけではない。そういうのはメディアが用意しているやつじゃないか・・・。かといってうるさく論述かましてくるオンナも自分はそんなに好きではなく、その常に偏った視点どうにかしてくれよと思ったりする。

何かそんなふうに日本にいる女性像ってなんなのだろうと考えていて、なんだ、この感覚は・・・?となってきて、格好悪い・ダサいことに対してのアンテナなのかもしれないなあと思ったんである。例えば失恋ごときでいつまでもうじうじしているみたいのは格好悪いとわたしなら思う。一人の男ばかり追いかけているのもわたしなら恰好悪いと思う。失敗したりするのなんて別にいいけど、自分から「負け」を持ち出して、それを受け入れてマス!みたいな顔、誰に言いたいのか知らないけど(というか本人が分かってないからやるのだろうけど)そんなことに別に誰も偉いねなんて言わないし、ああ、もしやってしまってたのだとしたら格好悪かったなと思う。何かそこに自分としてでしかできなかったことを、やはり見つけたい。だからかわからないけれど私はバンドマンという存在を強烈にうらやましく感じるのである。ラブや失恋を勝手に書き表し、歌い上げて、そのうえモテる・・・って何か、本当ただただ楽しそうでうらやましい。

そんなふうに生きたいですね。

 

そう考えると見た目とやっていることはダサくても自分の中にある意味でプライドみたいなものは強固にあり、言ってみればそれのみで書き表しているんだろうなと思う。だから私は今後、おまえ、作ることに関してプライド高いな~、とか、何か実はぼっとしてるよね~ってもし言われたとしたらおまえは何をわかってるちゅうねんいうてその罰としてそいつのこと死ぬまで無視してやろうと思っています。