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本のことを書いてあるブログ

セクシャルハラスメントと好みでない異性という微妙な問題

最近、まったく好みでない人から言い寄られたり、それからセクハラまがいのことがたびたびあってなかなかストレスを感じていた。といっても先に言っておきたいがわたしは決してモテるタイプなどではない。恋愛体質などでもない。いたってふつーの、どちらかと言えば大人しい方の人間である。前の職場でもこういったことは何度かあり、そのときは一番偉い人で、しかもすごく仕事も出来て良い人が何故かわたしにだけ嫌な感じでやり取りしてくるという感じだったので、結局それも込みでその職場は辞めることになってしまった。そのときはものすごく嫌で、ともかく「男女的なやり取り」がそこに存在していること自体を見せられていること自体が物凄いストレスだった。今、思い出すときはその嫌なことはわりと忘れてしまい、良い人だったな…てこと、楽しいこともあったのにな…ていうことの方を思い出すのが不思議だったりします。「あ、忘れるものなんだな」と思った。セクハラ、◯◯ハラというのは、当事者であっても時間が経てば忘れるし、ふわっとしていることなので「ある」というのを証明するのが難しい。個人にとってどこからどこまでが不快感なのか、それは単純な自己主張をすることでしか証明できない。

 

今回のことは、自分ではなく周りの人が一生懸命になってくれたのでとても助かったのだけど「あ、また忘れるかもな…」と思ってしまったので、一応書いておこうと思った次第です。

 セクハラの定義

なんで、こういうことが起こるのかなと思うのだけどまず、セクハラの定義自体が相手と自分との関係に左右される部分が多いため、説明をするのが難しい。それは、男女的な意味のあるやり取り(ていうことを言わされること自体が気持ち悪いのですが)だったり、近すぎる距離だとか、プライベートに必要以上に入り込んでくることです。

それを、してもいい、と思い込むのには職場内の身分差が根底にあるということがけっこう多いのだと思いました。多くは、そこに仕事をするためにわざわざ来ているのだから、上の人に対して仕事をする上で言うことを聞く動きは必要になってくる。で、この、身分差をはき違えている場合、こういうのをなにか「個人的な親切」と錯覚するようなのです。なぜだか「こいつは、いうことを聞くし文句も言わない=自分に好意があるからだ」あるいは「人間的に自分の方がえらい」と思いこむ。これは部下の方にも思い違いは時々ある。たとえば自分の母はこういう性質のある人だったので「父は偉い、父の言うことは絶対」という態度をいつもオープンにしている人だった。わたしはなぜ、よいときはまだしも父がまちがえているときでさえも彼女は全部オーケーになってしまうのかが不思議でしかたなく、なので今のようなこの人はまちがえていると思う時に(弱いくせに)死ぬほどぶん殴りたくなる裏の性質みたいのが出来上がってしまったのだと思う。

私は大人になってから父に言い返して「えらいねでも、ちゃんと言えたじゃん」と母から言われたのですが、うるせえーおまえがちゃんとしつけしろ!おまえがちゃんと仕事しないからこうなるんだろってずっと思っていました。助長する、ていう。

わたしは基本的に、仲良くない人からは何をされてもイヤだと思うのだけど、自分がイヤだなと感じたのは、まったく話などしない人が自分の動向を見ていて「今日は、◯◯なんですね」とか「意外と、◯◯買うんですね」とか持ち物を覗き込まれて言われるのも不快だと思っていました。次第にそれはエスカレートしていき、とくに理由もなく手を触って来たり、特に用事もないのにずっと近く(50センチくらいの至近距離)にいたり、人の動き方をずっと見てて少しでも自分から離れたらあらゆる方法を駆使して呼び寄せる、いちゃもんをつける(怒鳴る)…などエスカレートしていきました。それがもっと嫌になり始めたのは「手を触られる」「動向を気にされる」があってから。それまで、単なる嫌な上司でしかなかったのが、一気にセクシャルハラスメント、それからそれ以上の何か、尊厳自体を侵食されているような気持ちになりました。

あとは二次的な被害として嫌だったのはそこにいた年上の女性社員が、それを見て「気に入られている」と解釈したのか嫌味を言ってきたり、わたしを上司の前で小間使いのように馬鹿にする態度を取ったことでした。彼女からしたらわたしは首に縄を付けた裸のおまんこやろうだったようなのです。はっきりいって、上司のことを優れていると言ったり、余計な愛想をした覚えなど一度たりともないのでこれにはびっくりしたし、周りの人が動き始めたのはこのあたりからでした。

わたしは二人からの攻撃を受けた日は「舌を噛んで死んでやりたい」感情とはこのことだと思っていました。

説明するのは難しいですが、まず、言いたいのは、その相手には一ミリも興味がないし、異性的にというのは当たり前ですが人間的にも、まったく好きではないのです。尊敬もしていません。むしろ、電車で会えば避けて通るタイプの異性。精神に常に鬱屈が溜まっているから、気持ちが悪いんです。それでも女性や部下は、仕事する時に普通に接します。それは、当たり前だと思ってやっています。ありがとう、ごめんなさい、そういうことを会う人にするのは当たり前のルールですから。言っておきますが、その人はそういうことさえも出来ない人です。でもわたしたちは毎日、私たちからしています。仕事だってたくさんサポートしています。けど、そういうあたりまえのことには感謝だってまったくありません。…

で、今回こんなふうになって、毎日それがエスカレートしていく中で、意味不明にアクセサリーを貰ったりなどもしました。(帰って、速攻でゴミ箱に捨てましたが)周りの人が口を挟んで来てくれたおかげで、何もなくなりましたが、「エスカレートしていく」「周りが無感覚」なことって怖いなと思いました。

まず、前回の職場でわたしはこの「セクハラ」については弁護士さんにも相談してなかった話で、それはこういったことは証明するのも難しいだろうし、訴えるのがなにかばかばかしいなと感じてしまったからでした。そんなのは気のせいだと言われるだろうと感じていたのは悩むまでもなく、一瞬の判断で、わたしが気にしなければ周りの人が感じていないのだからないことと同じだと思っていました。でも今考えると、それは忘却ではなくて「無理にあきらめる」だったんですよね。けど、こんなふうにあることになるケースも、あるんだなと思いました。多分親身にしてくれていた人の気持ちの部分なのだと思います。

 

今回のことで「嫌か、そうでないか」の判断はほぼ主観かもしれないし、人に言うこと自体がはばかられるというか、なかなか難しいと感じました。わたしだって人間ですから、親しくしている人や、こちらのことをいつも考えてくれる人には、たくさん恩返ししたくなるし、肩を組まれたりしても嬉しいと感じてしまうと思う。それはでも、なんであいつが良くて俺はだめなんだ?と聞かれるような部分ではなく、そうなった紆余曲折は当事者だけのもので、説明する理由すらないと思います。差別ではなく、「気持ち」というのは「当事者に存在する」と人が仮定しなければならない部分なのかなとも思います。そうしなければ、その場所は主張の強い人たちの感情だけで彩られていってしまいますよね。

 

親切を感じられないくらいに病む

 

それから蛇足ですが、こういうストレスを感じている時、普通によい人が声をかけて来てくれてもわたしはその親切をまったく感じ取れなくなっている状態でした。それは本当にその人達からのストレスが過重で、冷静に考えられなくなっていたからです。当事者は、その「嫌な人」の原理を周りの人みな、すべてに当てはめてしまっている状態で、ファーストタッチでは「またなの?」と思ってしまうこともあります。またなの?つかれるからもう、来ないでほしいって、自分がこう感じるようになっていったのはずうっと、まともな人と話していないからだったと思います。毎日がそれに対する現実的な対処と、そこに生まれた(生まされた)感情を整理するのに精一杯。この部分は誰かちゃんとした人に話を聞いてもらうというたった一つのターンでも経た後でないと、なかなか変われなかったため、今考えると申し訳なかったなと思います。

 

ケースとして、周りの人たちが加担する時

わたしが何度か目にしたのは、そこに加わる、積極的に隠ぺいするという人たちがその職場内で本来支払われるべき対価を支払ってもらっていないというかたち。だから加害してくる人も被害者のような精神状態なのだなあというものでした。といっても、セクハラのように「お前の領域を俺によこせ」というのは妄想でしかなく問題外なのですが。で、その対価本当なら目に見える形でもらってしまえばよいのに、たとえばそれを夫や父親の人格のようなあやふやなものに期待してしまうことでいいようにコントロールされてしまう聞き分けの良い女性と、セクハラを受ける女性(いちばん身分が低い)がなにか二次的に戦い始める、という構造でした。もう、上の人はいいように操って遊んでいるんですよね。わたしはこういう戦いに巻き込まれそうに何度かなって、そのたびにすたこらと逃げ出していたような気がします。だって、意味ないですよね。だってもう、はじめからがんばってんだから、比べられるまでもないです。けど、そこにいるとセクハラだったりこういった社会にある目に見えない感情、構造はときに異性としての関心度だったり、魅力、価値にすり替えられるパターンも、あることはあるようです。そしてそれは当然支払われるべき対価をそこにいるひと達が他のものと取り違えるせいで起こることのようにも感じる。現にわたしも、嫌な態度を示したら「おまえみたいなブスに興味ない」「そんなつもりでやってない」という返事を何度ももらいました。この辺の部分は難しいのですが、でもほめてもらうとうれしいというのは人として当たり前の感情で、セクハラを受けても人を好きになってもいいし、女らしくふるまうことになんの罪の意識も感じなくても良いのだと思う。その「褒める」という子供に対するご褒美のような感情を、目の前にぶら下げたにんじんのようにして遊んでいるのは誰か・・・と考えると、一番悪いやつは誰なのか、わかりますよね。私はあなたからの勝算は金輪際いらないし、こいつは人を評価するに値しない人です、って女性は言っちゃってよいような気がしています。「おまえみたいなブスが」なんて本当、こうなってしまうと本来相手が感じるべき羞恥を無意味にぶっかけられているように感じるし、じゃあわたしが辞めたいと悩み、体調をくずすほどに感じていたものは「虚構」だったの??と思う。セクハラというのは訴えるだけで不必要に傷つけられるし、単純にうるさいやつだとみなされる場合もある、ともかく性というのはそれだけで複雑な問題を秘めている。それを取り違えたまま、何の人格者でもない人に媚び諂うのもばかばかしい。わたしはこういう構造の中にある盲目にされた女達の、女としての魅力、価値闘争のようなものは気づいたときに早めに辞めて本当にしっかりしてほしいなと感じる部分だったりもします。

 

異性から言い寄られる=得とはなりえない・・・

 

セクハラ、それから好きでない異性と仲良くするというのは遠目から見ていれば「なんで嫌なの?」と感じることもあるかもしれません。けど本人は本当にものすごく嫌なのです。それに、その事を相手に伝えたり、嫌がるのも申し訳ないという葛藤さえもあったりする。それは相手の人格うんぬんというよりも、自分が発散することで周りに迷惑かけたり、拒絶を伝えるのが苦手だったりという部分にあると思います。そもそも日本にいると空気を考えていない主張っていうのは「ど、どうしたの?w」ととらえられてしまいがちです。こういうとき、普段の行いというのも大切だなあと感じるのですが・・・。友達であれば離れればよいのですが職場内だと、身分差もあるため伝える事、自己主張することがまず難しい。これはもう風土すべてだと感じます。わたしはおばさんだからまだいいかもしれないけれど、まだ恋愛も十分にしていない若い子だったりもしも、自分の娘が自分と同じような目にあっているかと思ったらわたしは本当に許せません。はっきりいって、そいつのことを殺したいくらいムカつきます。おまえの快楽と、面白半分だけで人の親切を、人に対する当たり前の分け隔てなさを殺すな。おまえのやってることは性質として殺人やレイプと何も変わらないぞ。

って思う。

ともかくわたしが最中にあったときに感じていたのはそれくらいに激しい感情で、それを発散出来ないことからそれは多分そのままで自分の内側へ向かって行きました。そして一瞬、女性からバカにされたとき、そのうえで余裕ぶっこいている上司を見たときわたしは消えてしまいたいと思ったし、けど結局それを口に出来ないその構造を憎むしかありませんでした。一人で。

 

 

セクシャルハラスメント - Wikipedia

 

法律的には、2つの段階に区分される。

(略)


二次被害
中傷(例。上記を断られた報復に、社内外に事実無根のことを流され、噂を理由に仕事を外されたり、解雇される)


周囲の同調(例。中傷を信じた周囲の異性達が続々と性交を要求したり、断られた報復に集団で被害者潰しにかかる)


被害者のPTSD(例。中傷を耳にした人達から白眼視され、いじめられ、心に深い傷を負う)


被害者の精神障害(例。美しくあることで傷つくと無意識のうちに記憶、美しく装うこと・異性を極度に恐れる。


被害者の生活の破綻(例。職場でひどい目にあった記憶が強すぎて社会復帰できず、生活が困難になる)


被害者の人間不信による人間関係の破綻(例。信頼した人々から傷つけられた結果、引きこもり化)


1 と 2 は労働事件(刑事事件)、3 〜6 は民事事件(損害賠償請求訴訟)に相当する。

 

 調べてみたら「二次被害」というくくりがきちんと設けられていました。私なんて黙れといわんばかりに鍵付き冷蔵庫に閉じ込められたことありますよ・・・あのことはたぶん一生忘れられない。