●今日読み終えた本
・アッシャー家の崩壊
・ウィリアム・ウィルスン
どちらもポーエドガー・アラン。
●読みかけでウロウロしているもの
・斜陽(まんがで読破)/太宰治
・嵐が丘/E・ブロンテ
ほかコミックエッセイなどKindle Unlimitedでいろいろと待機しています…。
●今読みたい(買いたい)もの
・ナミヤ雑貨店の奇蹟
・あのころ僕らはアホだった
どちらも東野圭吾
前も書いたかもしれませんがハマっている作者のエッセイも読みたい。けどこれは本当に、焼き肉食べたあとでビエネッタを食べるような行為な気がしている。
読んでいいのかな…本当に
あとは宮沢賢治の詩集系の本気になっています。それから、ビブリア古書店シリーズもちょっと気になる。そういえば、安部公房も先を読んでいない。
ポーエドガーアラン(青空文庫にて)/一人称で書く
ポーエドガーアランはモルグ街の殺人をまんがで読破シリーズで読んで以来でしたが、この二作はちょっと雰囲気が違って事件という事件は起こりません。特に二作目の「ウイリアム…」は作者の私小説的なものなんでしょうか??あとで調べてみよう。
どちらも主人公の語りふう一人称で進んでゆく感じです。
ものを何か書くときに三人称で書くか一人称で書くか…というのは迷いがちですが、ある人は「初心者は三人称書くべし」と言っていたような気がする。多分その方がいろいろが偏らないからでしょう。
一人称でも面白いものは面白いのですが、かなり近く耳元でずっと語られている感じがしてくる感覚がなきにしもあらず…意識的には作者の頭内部と読者が重なってる感覚なので「そんなこと、ないんじゃない?」っていうもやもやを口に出せないままゆく感じをぬぐいきれない場合があります。
アッシャー家の崩壊
で、「アッシャー家の崩壊」もそんな感じの語りで進んでゆきます。こちらは、意外なほどに短い短編。ミステリーというよりは、昨日見たようなオカルト方面?これは病気というか精神的ゆらぎの方に焦点を当てたような作品でしょうか。
「ウイリアム…」の方は人間観察のようなお話。私小説的な、主人公の反省や生い立ち、ある人物との関わりについて書かれています。人にはそれぞれ人生のあるところで映し鏡的に自己を内省させる人っていうのがいるものなのかもしれない。
「○○(ヒト)に対する、類別されない特別な感情」というのは物語たりえるような。
ほか…
それから「斜陽」はじめて読んでいますが太宰治って繊細なんだなーという印象。まだこれは途中です。
嵐が丘は面白そうなんだけどこれもまた一人称の作品でちょっとカチコチしていて読みづらいのか、同じ場所二、三周してしまっています。
ほか…②
ところで以前サカナクションのライブへ行ったとき、MCがほぼないままラストまで行き、アンコールのあとで出てきてそこで初めてトークするっていう感じで、それをボーカルの人が「本編が終わってから…」と言っていたのが印象的だった。わたしは本編と番外編とか考えたことなかったし、その前に行ったお笑いライブではゆってぃもニッチェも滅茶苦茶観客に話しかけて来ていたからLIVEというのはそういうものなのだと思っていたのである…今考えると「本編終わってからトークする」それもまた「小説のあとで読むエッセイ」みたいな感覚だったのかもしれない。けど本編終わるまで全然喋らないってストイックにもほどがある…。わたしなら縁もゆかりもないおばさんとエレベーターに閉じ込められたとしてもいたたまれなくて五秒くらいで自ら喋りだすと思う。しかも自分で集めてるんですよ?ひと。すごくない?