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本のことを書いてあるブログ

小説も、読んだ方がいい(日記)

俳句歳時記に高浜虚子の俳句が多数引用されていたので、青空文庫にて高浜虚子の本をダウンロードしました。

 

◯俳句とはどんなものか

◯進むべき俳句の道

◯五百五十句

◯五百句

◯俳句の作りよう

 

 

そのほか、Kindle Unlimitedで「まんがで読破」シリーズを多数見つけたためダウンロード。

 

◯人間的な、あまりに人間的な/ニーチェ

ドグラマグラ夢野久作

(ダウンロードしたはずなのだけど…無い。明日またダウンロードしてみる。)

 

カラマーゾフの兄弟 小説の方

ちなみに昨日まんがで読破シリーズを読み終えたカラマーゾフの兄弟ですが、今日読書アプリで他の人たちの感想を見てみましたが、小説の文章は単に難解なだけではなく感情描写など充分読み応えがあるようなので小説の方も読んだ方が良さそうです。(今日、一瞬「もう漫画で読破でいいか」と思い始めていた。満足感が…危うい。)

絵やほかの映像付きのメディアより小説で読んだものが感覚そのものとしてあたまに残りやすいと思うこともあって、それは「自分で映像を作り上げる筋」を使って読んだからな気がしています。

ええ。だから多分読むんだと思います。

 

特に他の方の感想で何度も取り上げられていたのが上巻の「大審問官」という言葉。そんなの出てきた記憶がない。あと、漫画ではイワンが悪魔の前でリンゴを食べるという描写があったのですが、あれは漫画ならではのシーンなんだろうか?それとも、デスノートの影響…

カラマーゾフの兄弟を読む人が挫折しがちなのは小説に出てくる複雑な人間相関と、それから愛称で呼ぶのに馴染みがないため何がどうなっているのか理解しにくいというところみたいです。それを考えるとこういうまんがで読破で全体を理解した後に読むっていうのもありと言えるかもしれないですよね。

みたいな感じです。

 

 

俳句とはどんなものか/高浜虚子

 

今日は小説ではなくまた俳句の本。高浜虚子の「俳句とはどんなものか」の三分の一くらい読みました。

高浜虚子とは正岡子規の弟子だそうで、いま理解したのは俳句は一、芭蕉がつくりあげた文学である。二、十七文字で詠む。三、景色を叙するもの 四、季語を織り込む 五切れ字を必要とする。という部分でした。

おもしろいと思うのは、全体的に察するのではなくもう「芭蕉が作り上げたもの」と定義づけられていること。俳句の方が和歌よりも若い文学というのも今日はっきり知りました。(おいっ)これは高浜虚子が唱えているものかもしれませんがもっと深く探ると色々な理解に結び付きそうです。

 

高浜虚子の考えるところ、それから人間像はわたしにも理解しやすいので他の本も読んでみようと思いいろいろとダウンロードしました。

こういう発見は嬉しいものです。