五百句/高浜虚子
今日は俳句の本を読んでみようと思います。
やり方を学ぶために指南書を読むのも良いのですがやはり俳句、短歌はそれのみが並んでいる本をじっくり読むのが醍醐味な気がします。
「五百句」より、今読んでいる部分より。
夏の月皿の林檎の紅を失す
大正七年七月八日 虚子庵小集。芥川我鬼、久米三汀来り共に句作。
詞書きを見てみると「芥川我鬼」の表記が。色々なところで人が繋がっているんですね。
船に乗れば陸(くが)情あり暮の秋
見失ひし秋の昼蚊のあとほのか
秋の感じが伝わってきます。
こんなふうに情景を詠む俳句をわたしたちが読むことで、原風景ともいえるもの、景色、感情が思い起こされ、一句により作者と繋がるような感覚があります。
どかと解く夏帯に句を書けとこそ
大正九年五月十六日 婦人俳句会。
婦人俳句会で詠まれたものらしい。
詠み手の、人との関係性を見るのもたのしい。
ちょっとだけ抜粋でした。
まだ知識が浅いため高浜虚子イコール写実というイメージだったのですが、写実といえどそれは平素に単語を並べているだけではないのがわかります。必要な部分では感情が出てくるし、必要と不必要が吟味されているからこその一句なのだといえます。
波乗りの道路工事の人立てり
こちらはわたしの作ったもの。
先人達の句集、歌集には作歌、作句へのこころも詠み込まれていることが多く、なかなか勇気づけられます。