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本のことを書いてあるブログ

吾輩は猫である/夏目漱石

吾輩は猫である夏目漱石

 

おなじみの、まんがで読破シリーズ。もう何の抵抗もなく読んでいます。

これは原著で何度か挑戦していますが断念した記憶のある本です。タイトルがほかの夏目漱石作品よりも読みやすそうなのでたぶん手に取ったのだと思いますが、ストーリーの本筋が分かりにくくて途中で何度も挫折したのである。猫出てくる意味ある・・・?みたいな。(おいっ)あ、そうだ、この鼻の大きい女性というのは聞いた記憶があった。たぶんこの辺で止まっていたのだと思う。

 

こういう本を漫画にする、って画期的だなと思いました。まずイラストで日本家屋のたたずまいがぱっとつかみやすいのと、主人公と個性的なキャラクターもイラスト化されていてわかりやすい。その中で猫が部外者というわけでもなくなんとなーく、うろうろしているという感覚がつかみやすかったです。なるほど、これてっつまりは、随筆のような話なのねってことがようやくわかったわたしである。

こんなふうに全体像を説明してもらってからストーリーに入るとつかみやすくてお話から落ちこぼれなくて済むんだなあと感じました。これ以後だと原著のほうも読み出しやすそうです。

はい。

 

それから、夏目漱石が「吾輩は猫である」を高浜虚子が継承した俳句雑誌ホトトギスに掲載していたこと、ほかにも正岡子規へのつながりなどもわかりました・・!無知!あまりにも無知!しかし目からうろこでした。あのへんの文学関係者ってこうやってみんな相関図の中では線いっぽんで結べそうなくらい固まっていたんだなあーと思った。私の好きな小熊英雄はあまり出てこないけど、そんなふうに文学界でも「花形的存在」それから「日陰的存在」がいたりするのかもしれない。(それは決して作品の良しあしではありません)

 

 

吾輩は猫である」はまじめくさったお話ではなくて肩の力を抜いて読むのがよさそうな小説です。

いろいろな人物が出てきますが、おそらく主人公は夏目漱石本人、それとその周りをとりまく人との話ということなのかも。すみません、もし違ったら教えてください。えっ、これが高浜虚子なの・・・?みたいな人物も出てきていました。昔から、著名な人たちはこうやって一か所に集まって議論をしたり、もしくは関係ないことをしたりしてお互いに刺激を与えあっていたのだなあという雰囲気が伝わってきました。

主人公本人の人物像も面白いです。ふだんの小説では垣間見ることのできないような下世話というかユニークなエピソードばかりで、人間味があふれています。文学を作り出す礎に、まず生活があり、その生活の部分はいかようにもデフォルメしがたいような生身のヒト感があるんですね。いや、夏目漱石自身がそういうことを面白がりたい人だったのかも。

 

最後はなんと、猫が水がめのなかにうっかり落ちて、溺れ死んでしまうところで終わりになります。死んでしまうときの描写がなんとも詩的で、生活感、人の中でもまれたりそこからはみ出して生きていく人の説明しがたい感覚を含んでいるような感じがしました。

この本は漫画の描き方もすばらしかったため読みやすかったです。

やっぱ、強弱ですよねー・・・勉強になった。

 

個人的にはスパイの存在が気になりました。今も昔も、こんな風に情報を盗んだり伝達するために働く人ってたくさんいるんだろうなあという。人間関係っていうのはおもしろく、めんどく臭いものなのかもしれない。