名前を付ける

本のことを書いてあるブログ

究極の料理と、至高の料理〜序列について、考える。

世の中で、複雑怪奇なる争いが発生しているとき、元をたどっていけばことの起こりが単なる序列争いに過ぎなかったということは多い。

いわゆる「HP全て使い切ってマウントを死ぬまで取りたがる」人間というのは、どこの組織にも存在している。

こう行った難儀にはまり込むのは人生経験の少ない奴、もしくは文系の人間が多いと思う。

例えば、部活経験者、スポーツマンなんかは序列が「ハッキリーッッ」としているので、なんとなく、多分だけど、長年の勘で出会ってそれは10秒くらいでけりがついているんだと思う。

結構いる、「っす、っす」みたいなのを話し出す奴。

ちなみにわたしはこの「っす」野郎に尊敬されたことがない。

 

 

たまに初対面のひとたちや組織の中に入るとき、右も左も分からなすぎて誰が偉い人で誰が単なる掃除のおじさんなのか分からないという時がある。とりあえず、全員に挨拶しとけ!みたいな感じで切り抜けたりはしているけど、こっそりその「序列」を把握するために色々を観察したりはしている。

 

そこでわたしは唐突に思った。作家陣の中でもやっぱり、序列というのはあるのか…?ということである。もちろんこれはあるだろう。人気…デビュー年…年齢…賞の数…賞の凄み…内容の深さ…(内容の深さにいたっては主観ともいえる)

 

正直、読むときは賞がなんだとかは一切関係なく、面白みのみしか受け取りたくはないのだけど、けっこう長めの長編をいくつか読み終わってふと、顔を上げてみて

 

f:id:coooki:20190704223345j:image

 

『…で、「平野啓一郎」と「中村文則」だとしたらどっちが偉いんですか?』

 

みたいな気分になっていることはある。

 

f:id:coooki:20190704223345j:image

『「○○○○」と「村上春樹」だとしたら、だいたい同じくらいの歳だろうけれど…』

スマホからの更新のため、巨大写真になってしまっていたらすみません。

 

 

なんて、冗談です。すみません。

 

こういうことを考えているのは、単なる邪推でしかないけれど無関係なだけに何かわくわくしてしまっていた。例えば、久しぶりに「美味しんぼ」を読むと、そういえば、あったあった。至高の料理と究極の料理の対決。「あった」っていうかそれがストーリーの一番太い線として物語を運んでいたんだけど、正直どっちでもよかった争いだっただけにページを開く前まで丸っ切り忘れていたのである。美味しんぼは花岡さんと花岡さんの彼女とで展開していくクッキングパパのちょっとうるさい版だとイメージしていた。けどその「至高の料理」と「究極の料理」の、類を見ないほどの真剣さ、たかがかつおのたたきのために武士が、切腹をかけて戦うみたいなありえない設定にワックワックして見入ってしまっている自分がいたのである。