俳句で織り込まれる季語ですが、初心者としてはこれを先ず覚えるというのが課題だったりします。
「夏」「汗」「涼しい」…そのくらいまでは浮かんできますが、あとは歳時記を読んだり俳句に触れた折に調べるなどしないと身に付かない部分かもしれません。
たとえば「月」ですがこれは秋の季語となるようです。これは、名詞としては一年を通して存在するものの、その中の見どころという点で季語とされている為。
ちなみに「朧月」は春の季語でした。
物売も佇む人も神の春/高浜虚子
○神の春ー新年の季語
わたしはこれを、一瞬(高浜虚子の造語?)と思ってしまった。日常的に過ごしていると、なかなか触れることのない言葉です。歳時記には載っていなかったけれど、ネットで調べたら見つけられました。
https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E6%98%A5-2024119
ここで引用されている歌もよい。
「飛梅やかろがろしくも神の春 われもわれものからすうぐひす」
(引用)
「かろがろしくも」というのは心情に近い言い回しにも見えます。俳句の風刺の精神なのか、それとも心情と結びつけずにそのままの状態として読むのだろうか。ぴりっとした部分と花、それから神の春というやや抽象的なイメージのつらなり。
ちなみに連歌とは…
https://kotobank.jp/word/%E9%80%A3%E6%AD%8C-152050
「百句」というのが何かの間違いかと思ってウィキペディアでも調べてみましたが、
歴史的には、和歌の上の句(五七五)と下の句(七七)をそれぞれ別人が詠むという遊戯的な試みが連歌の起源であった。およそ院政期ごろまでに流行したこのような形式を「短連歌」と呼ぶ。
これに対して、平安時代末期から鎌倉時代にかけて連歌は盛行を見、分量の拡大がはかられることになった。五七五に七七を付けて完結するのみではなく、七七にさらに五七五、七七、五七五……と次の句を付けて展開し、おおよそ百句をもって一作品とすることが一般的となる。このような長大な形式の連歌を「長連歌」(初期には「鎖連歌」とも)と呼ぶ。
つまり、「百句」というのは思った通り「ごちしご、しちしち、ご」というのが途切れないままが百続くということらしい。すごいですね。
火の色の縄文の壺神還る/角川春樹
○神の留守ー陰暦九月三十日、全国の神々が出雲へ旅立つ(神送)ので、陰暦の社は神が留守になると言われていることから、冬の季語(今はじめる人のための俳句歳時記より)
こうやって季語ひとつにしてもいろいろな背景が思い起こされ、言葉の持つ歴史や深みを考えるきっかけにもなります。
ことばには、含みそれから広がりがありますね。一度読んで分からない句も、説明してもらうことで情景が浮かびやすくなったり、それか相性がよい句だと一度見たときに「こういう状況なんだな」というのが思い浮かんできます。それが楽しい。