春陰や折り紙を指押して立つ
不燃物処理めいて午後外套脱ぐ/ささき わたる
一つ根に分かれ浮く葉や春の水/高浜虚子
虹立ちて忽ち君のある如し/高浜虚子
今、読んでいる本にしばしば高浜虚子が出てくるのですがやっぱり気になってしまいます。何か不思議と情景が浮かんで来る句が多いです。
歳時記本にも著名人は沢山引用されていますが、その中に出てきても「高浜虚子だなあ」というのがもう確立していますね。あと、芥川龍之介も好きです。小説家の人が作るとどうしても、(気取ってしまうのでは…?)みたいな感覚があったりするのですが、ちゃんと詠みこんでいますね!昔はこういう文芸を多岐に渡って、真面目にするのが普通だったのだなと改めて思います。
あおぞら文庫などふと読んでみると小説以外の熱き文学論が出てきたりしますね。(常識…?)
今日はこちらを読んでいました。
ふと、気づいたのですがある時期の古典は、作者が語り部のようになってこちらへ語りかける形式のものが多いみたいですね。
あとは自分の好きな小説をもう五度目くらいかで読み直してます。もう本当そこに全てが詰まってるような気がしてます。
こちら、高浜虚子を私がまとめたものです。