名前を付ける

本のことを書いてあるブログ

おしゃれの網の目と哲学

おしゃれの網の目が見えない

 

最近、「女性ものの服」売り場に行くと「ああ、もうよくわかんない」ってなることがわりとある。

これは、同じようなことがけらえいこの「あたしンち」の中でお母さんの症状として描かれていた記憶があるのだけど、それによると、お母さんは節約、それから家事雑貨の類に関しては明瞭な哲学を持っているため「Aは〇〇」「Bは××」と即答できるのに、ヘアカットだったり服を買うことになるととたんにその「おしゃれ」という記号を処理できなくなるため「もや・・・もや・・・」としてしまうんだそうである。

わたしはこれを読んだときは笑ってしまったんだけど、いまでは「わかる・・・!」って思ってしまう。

 

わたしもそんな感じになる。年齢があがるにつれてそこに「めんどうくさい」が加味されていっている感じさえする。

 

たとえば、数年前から皆が取り入れている「はかま型ズボン」だけど、あれがどういうことなのかがずっとわからなかった。けど、昨日その雑誌を何冊か見ることでやっとわたしにもその「意味」が分かってきました!はかま型ズボンはウエストを強調するために、トップスを短めにしたり華奢な感じにし女性らしさを強調したあとではかま型ズボンが「ぼん!」とケツのでかさを強調しているのが日本女子の体形に合っているし女の子らしくてかわいく見えるのだと思った。

こうやって「意味」を会得しない限りはわりとダミーだったり全然体形に合わないものを買ってしまったりして、家に「類似品のしかばね」が増えて行ってしまうのには参る。だったら、潔く買わなきゃいいのに、買うもんだから・・・

 

 

ところで昨日美容室へたまたま行ってそこで見ていた雑誌に、ショップ店員さんのおしゃれの哲学インタビューみたいなものが書かれていた。

それによると、自分が好きだなあって思う服を手に取ってみると偶然同じブランドのものを手に取っていることがある。それによって自分が「このブランドが好きなんだなって気が付く」とか、「新しいもの、旧いものも上手に取り入れてミックスする。自分の気分にあったものをその日、着ていたい」とか言っていて、これってまるで短詩形に対する哲学と同じじゃんと思ってしまった。

 

どのような道であっても極めることで、哲学は似てくるのかもしれない。