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本のことを書いてあるブログ

ワイヤレスイヤホンに付いて印象の域を出ない無駄話

iPhoneの純正のイヤホンが姿を消してしまいました。何かこういうなくしものが最近はやたらと多くあります。

前に書いたけどiPhone Xのイヤホンってジャックの形が変わってしまったんでこれまでのイヤホンだと使いまわしが出来ないんですよね。Amazonにて(ここ最近、コロナの影響でAmazonの利用回数がやたらと増えている)一応、新しいイヤホンを探したりしてみたんですが、いまはなんと、ワイヤレスの時代なんですね。

ワイヤレス、形もコロンとしていて、何かイヤリングのようにケースに入ってるのが基本みたいです。この「ワイヤレスイヤホン」の概念がまだ自分にない時期、そのかたちをAmazonのページなどで不意に視界にはいってきたときに毎回「なに、これ?」という疑問になる前の「モヤッ…」みたいのを感じていた気がします。

で、正規のワイヤレスイヤホンなら、とりあえず二つはめてるから多分イヤホンだろうなっていうのはわかるんですが、何か耳に片っぽだけ入れて、なおかつ、棒状のものが五センチくらいはみ出てるみたいなフォルムのやつもありますよね。あれ…って一体何なの??

かなり前その溜め込んだ疑問を、たまたま同じ状態の人がとなりをすれ違ったときに一緒にいた知人に怒涛のように聞いてみたところ「イヤホンに決まってるしょ」とのことでした。




何かあれって、攻撃的な感じがしませんか?例えばあれで店に入ってくる客とかをみた時毎回「ぎくり!」と感じてしまっていました。とにかく【ワイヤレスイヤホン様】の存在&外で使ってもいいっていう人格が存在するというのを知らなかったため、スタッフ的な人が意思を交換するためのアレみたいな意図ではめてらっしゃるのかと。なんとなく、鷹匠やってる人が、鷹匠の姿を解除するのを忘れて町に降り立ったみたいなたたずまいがあるなって思って見ていた。
鷹匠(たかじょう)とは - コトバンク
毎日無限に湧いてくる、小学生の疑問のように…


で、今回もうワイヤレスの知識は取得済みであったのと、ジャックも限られてるしどうせ買うならワイヤレスイヤホンがいいかなと思って探してみたんですが、結構かっこいいデザインもたくさんあった。わたしが苦手な、棒状のが出てるやつでなく、耳にすっぽりはめるようなフォルムのものも…。

ただ、ここでもまだ「ワイヤレスでいく」ことに納得の行っていない自分の存在を感じてしまったのである。
やっぱり、街中でイヤホンをするのは千歩くらい譲ってもう市民権を得ているとする。が、まだ、令和二年においてそれはイヤホンから紐が出てないってかなり唐突な感じがどうしてもしてしまったのである。

例えばいきなりステーキ…こういういきなり感っていうのは、多分
「え?!なんで?!」みたいな感覚。
「え?!なんでなんで?!…って音楽聴くからだった!…けど、紐が出てない!」
「ワイヤレスでした〜!」
これくらいの三段論法でやっと「穴に異物を突っ込んでもよい理由」が成り立つ気がする。普段は。

「え?!なんでなんで、鼻に…?!」多分こういうことには沢山の言い訳を総動員させなければ人というのは納得出来ない感じがする。
「目に…?!」
それは目が痒いからだ。→ホッ!ていう。
これが「理解」じゃないか!人としての!
みたく感じてるんだと思った。自分に対して。


とりあえずの機能としてそこまで腑に落ちたとして、ワイヤレスだとしてもそれでも良いとする。けど、それ以降、「それで尚且つ人前に出る」とはなんぞや…?みたいな疑問が出てくる。居住まいとして、それでも良いのか?
それはVRに対する疑問にも似ている。とにかく五感の一部を塞いで駅まで来る奴みたいのに対して「ちょっとおまえ、ハレンチやぞ」みたいなのがあるんだと思う。
もっと突き詰めてしまえば、恥ずかしいのだ…わたしは…
なんで来るんだよ、おまえはそんなんでよ…

例えば、いきなりレンズみたいのイヤじゃないですか?(※コンタクトレンズが世界に存在しないとして)
ちょっとおまえ、とりあえず見える見えないは良いとして、理由をくれよってなるでしょ。



多分こういうことに関して、お世話をしたい人が毎回目ざとく個人的な部分に入ってこられたときの感触をもとに、自分の中で問いかけてくるAみたいな存在がもはや出来ているんだと思う。例えば自分の場合、実母くらいの強力なパワーをもったおばさんが、日々、それに突っ込んで来ざるをえないのを見させられている。
だから自分の中ではそういうおばさんを、強めに納得させられるくらいのパワーが湧いてきた時にしか、それらをやってはいけなくなってしまっている。
こういうことに関して自分はそれほど不自由だなとは感じていなくて、むしろ、アジア人はそれくらい普段寡黙でいるべきだし、何でもかんでも受け入れてどうする!くらいのプライドみたいのはあると思う。

そもそも、日常の生活の中で音楽を聴くってこともそれほど頻繁にはなく、あとは個人的な癖としてあたらしいものを特に使いこなさないみたいのがある。今ひんぱんに着ているロンTも、思えば買ったのは三年くらい前で、三年間くらいたんすの肥やしにしてからやっと直目で見れるようになったのである…
今でも定期的に、ナウ過ぎるのを買ったってずっと思ってたの思い出すんですよね。当時


Amazonのページの前でそんなことを考えていた。

つまりは、「あたしはイヤホン越しに音楽を聴いている」という説明を、自分、それから周りに対して、「どうせみんなもやってるからいいっしょ」以外の腑に落ちる説明が欲しいのだと思った。





ここまで書いてて思ったけど、本当〜ババアウッセエよ!でしかないですよね!

けど思うんだけど、コンビニにイヤホンしながら入って来る若者とか見ていても「本当にあなたはなにを考えて生きてるの?」と、聞く前の時点でやっぱり「モヤッ…」とは感じているんだと思う。あー、なるほどね!だからそうするのかあ!◯◯だと、出来ない部分があるよねー!
みたいなのがあれば、多分「へ〜!」「やっぱり、大好き!」みたくなると思う。で、自分からすればそう思って以後、やっとハンドミキサーをいそいそと購入する。そしてそれ以後、ときどき…とかじゃなく、壊れてしまいそうなくらいの頻度にて毎日、使い倒す、、、みたいに毎回、世間のブームから◯年越しくらいに個人的体験をするみたいなルーティンを、けどそれがむしろ正解なのだくらいのしたたかさでやっているのが今自分というむしろ中年なんだと思った。

イヤホン外でわざわざしてる人にしたって、個人的哲学があるとかでなく、多分なにも考えてない、もしくは考えないスイッチを意図的に押してるんだろうなと思うんですよね。あとは数ターン後にイヤホンが木に引っかかって「あーっ」てなる自分が想像のお呼びもつかないくらい自信に溢れてるんだろうなあとか。















バイバ〜〜〜イ!!!