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本のことを書いてあるブログ

寺山修司青春歌集

煮ゆるジャムことにまはりが暗かりきまだ党の歌信ずる友に

寺山修司青春歌集 (角川文庫)

寺山修司青春歌集 (角川文庫)

いま、寺山修司青春歌集を読んでいるんですが面白いです。
歌集、短歌と言っても色々なものがあるんですがこちらの歌集はブルース的な感じがありますね。寺山修司ブルース。つい、詠んでみたくなります。

書かれていた時期がさまざまなためか、章ごとに歌のクオリティにはばらつきがあるのですが…
名詞多め、硬さあり。心情を読むというより半心情的→外周を詠むテイストが寺山修司なんですね。わたしは短歌のルールというものが未だ理解出来ていないのと、イメージを追ううちに全然違うところへ行ってたみたいなことはざらにあるため他人の詠み方はいつも気になります。
短歌の詠み方はさまざま、特に決まりはなくて流派ごとに好きな形を詠んでいるというイメージ。寺山修司は男性的、力強いイメージがありますがかたくな過ぎて読めないと思っていたはじめのイメージと今回三度目くらいで読んだ印象が違いました。

全体的にかっこいい感じなのですが。で、ちょっとイメージをまるく見せるような「煮ゆるジャム」なんかはセンス抜群ですね。これ一度読んでからよく覚えています。煮ゆるジャムの章はすべてやばいですね。

以前読んだときは多分あまりよくわかっていなかったので「クドいし、むやみやたら死を連想させる」という印象だったのですが、今読むとかなり洗練されていました…読めていなかったという…寺山修司がいかに詠みこんでいたかもわかります。



なまぐさき血縁絶たん日あたりにさかさに立ててある冬の斧

これ以後、「斧」が象徴的に出て来ます。


胸にひらく海の花火を見てかえりひとりの鍵を音立てて挿す


寺山修司がこんな優しい歌を読むことに驚きます。こちらは心情を詠んでいるようです。



人生はただ一問の質問に過ぎぬと書けば一月のかもめ


夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず


目つむりて春の雪崩をききいしがやがてふたたび墓堀りはじむ



まだまだたくさんありますがこの辺で引用は終わります。
最後の歌も「春の雪崩」の遠いイメージが伝わって来ますね。哀しみでも自嘲でも発散でもない、それは心にあるイメージ。「伝える」というターンを経ないで他人の心を見つめる、こういう、分かるなあていう心情を見ることで詠む人をいとおしく思えるという…

短歌を読むのがなぜ面白いかというと、人によって全く違うというのと、一首の音がこころに残る、または情景が残る一首があることでちょっとした転換の機会みたいなものが得られるところでしょうか。もうひとつのチャンネルを持つ、ような…そこまで深い意味で詠んでないとも言われそうなのですが。「音で残る」みたいな人はすごいなと思います。わたしはできない…、、

あと自分の歌についていえば何を読めば良いのか分からなくて万葉集ばかり読み込んでたせいか語順とかもめちゃくちゃでしたね。今もだけど
最初結社に出すとき、女目線で書くか、論理調で書くかをすごい迷っていた記憶があるのですが、今思えば論理調は男でないと出来ないと思い込んでいたふしがあります。女目線で、ナヨッてるみたいなやつが流行ってたのですがあの頃、それを絶対詠むまいと頑なに思っていました。論理とか、人生を詠むってことをしている人があまりいないなあとか、もう無茶苦茶なんですけれど、何かを一刀両断したかったんでしょうか。

今は何もかも混合、ていうかめちゃくちゃに詠んでます。


何かこの「見えてない部分がいっぱいある」それが初心者なのだなあということを、短歌に対しては初心者の時点で未だに思うのでした。