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本のことを書いてあるブログ

ホリエモン「拝金」を読んだ

ホリエモン「拝金」を読んだ

 

Amazonのレビューではホリエモンの例の事件のことが書かれているとあって、そう思い読んでみたけどまるまんまで書かれているわけではなく、具象というかデフォルメや色んな仕掛けがあり単なる自己主張のための私小説では終わっていなく面白かった。

起業し経営していくことなどの構造や人間観、実際に見聞きしたのでなければ分からないような事が、仕事観(?)とともになんかが書かれて、単なるエンターテイメントとしても楽しめるような小説。

 

お金の仕組みーニムロッド

「お金の仕組み」については最近ホリエモンのツイートやニムロッドの仮想通貨の話を聞き、気になっている。ニムロッドにあったのは掘り続けることで価値を見つけだすこと、それから全ては代価可能であったという、人間の存在そのものと仮想通貨をからめつつ生死観まで考えるという思想。ただ上田さんの方はプログラミングに没入していくこと、文学というものの側に立ってみた視点がわりと多く書かれていて、SEの人の感覚ってこんな風なんだなというのが分かる。「わたしの恋人」「異郷の友人」ではさらに、自分の性質や原点について書かれていて面白かった。

 

たとえば、何かを作り、それを人に知らしめたいというのは、動きとしては金の流通と似ている思う。工夫して、人に取らせるようにする。たとえばそれを、セールスのように無理に勧められると途端に取りたくなくなる。良いものがうれ、また適正な値段で売れるわけではない。じゃあ、売れるものとはなんなのだろうか…

たとえば何かの発明品があるとして、それが世に出て行き、受け入れられるためには秘められたポテンシャルだけで裏付けられてるのではない…というのは普通に分かると思う。では売れるというのは、売れる仕組みの中にうまくのる技術なのかもしれない。

金の亡者、とはよく言ったものだけど、つまり金のためになりふりかまわなくなっているすがたは醜い、というのは一般的教訓としてなんとなく染み付いてはいるけど、その中を開いてみると、まるでゲームのような金と人間同士の駆け引きにつながっていて、それを増やしたり分配したりするのは私たちが本やゲームを読んで面白いと思う感覚と似ているのかもしれない。いわゆる、遊び。大人の仕事。やり過ぎると身を滅ぼすという点では金との付き合い方も人間や異性との付き合い方も同じようなものなのかもしれない。

そう考えるとなかなか面白い。

わたしからするとホリエモンの本は分かりやすい、っていうのがある。視野が明瞭。

目的としてきちんと「伝える」「わからせる」という方に向いているのだと思う。これは実用書の方も同じようなテイストです。

 

金の価値は交換したい個人の「欲望」でいくらでも変動する。ある物に対して、どんなことをしてでも欲しいと思えば、金の単位的な価値は低くなり、逆に対して欲しくないならその価値は高くなる。愛はタダで買える

 

成功しようとするのではなく、失敗しないようにする。

 

しかし途中から頭が働かなくなっていくのがわかった。「実際やってるわけじゃないから、何言ってるのか分からん…!」

 

あと書かれていたのは、カリスマ性のある起業家のオッサン、その妹、それからメディアとの対立、などなど…

「いくらマスコミといえども最後はまともな判断力があるのだろうと思っていたところが甘かったのだ」という記述は最近のマスコミの働きを見ていると何となく分かる気がした。人を人とも思わない、という。逆の立場で考えれば、人を超えた仕組みがそこにもあり、また追い込んでいくという面白みがあったりするのかもしれないが。