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本のことを書いてあるブログ

春の陽気…リトープス買いました

おはようございます。

今年は気温が上がるのが早いですね。とはいってもまだまだ北国の春なのでこの間久しぶりに散歩して来ましたが春の陽気、芽吹きを感じるよりも風の寒さで耳が凍えそうになって帰って来ました。めっちゃ,外寒い時って何か内側に居る人に「皆〜!外は凍えるほど寒いゾ〜!」って報告したくなりますよね。(引用※こいつら100%伝説)ただ油断しまくっていた自分の驚きをそこで共有したくなってるだけなんですが。



ことしの園芸の話

で、雪もほぼ溶けて,天気が良い時は陽気を感じるようにもなって来たので植物を育てたい欲が高まってきました!…とは言ってもこれまでの反省(興味のあるものを買ったが育てられない、失敗する、あるいは膨大に増えて植物へのわだかまりを募らせる等)を生かして,育てやすそうなものを一年単位で少しだけみたいなテーマをもってやってみようと少しだけ思って居ました。
こんなふうに,訳わかってない事に対して入り口から,とりあえず指南書を読むみたいのはワクワクステージとしてありますが、その後で自分なりのテーマを決めるっていうのは良い事かもしれません。例えば服に関しても,わたしはテーマを持っていないんですが最近やっと、客観的視点で買うことができるようになりました。客観的視点ていうのは、買いたいものを買うのではなく「これを持っていないから買う」「これと合わせられそうなのを買う」ということです。それがないと…なななんと!当たり前のことですが白いシャツだけ五枚くらい集めていたりする自分がいたり,スニーカー三足しかないやんけみたいな事になっているのです。これを、他人にアドバイスする時は上手く、似合うのを選ぶことができるのに自分の服上手く買えないのどうして?という疑問からわたしは頭の中のゴーグルをかけ直してやってみることにしたら案外うまく行きました。前も書いたかも知れないけど

それで,話は戻りますがそんなふうにテーマを決めたんですが,その上で宿根草だったよくわからないモンスターみたいなピンク色のロゼット状態の花を処理する事にしました。これは、せっかく生えてるのに、あまつさえ自分がチョイスして買ってきたのに抜くというのは園芸ルールに沿ってないと何故か無意識のうちに思っていたのを,母から「気に入らないんだったら抜けばいいしょ」と言われて「はっ…!」としたからです。そ、そうだった!抜けばいいんだ。これは、園芸歴十数年の母から言われたことなので、とくにそれ以外のことは考慮なく従ってみる事にします。

というわけでうちにあるのはいまのとこクロッカスとヒヤシンスのみになりました。こちらの2種は申し分なくかわいらしく癒しを与えてくれています。で、あと申し訳ないですが紫陽花も手に余るため近々どうにかする予定です。

一応ですがいま、飼っている猫の方は二匹ともすくすくと育って元気です。



リトープス買った

で、その熱も冷めやらないうちに、先日YouTubeの生物チャンネルのほうで見かけたリトープスという石に擬態する多肉植物がとても気になってしまい、結局こちらを通販でぽちっと購入。

https://greensnap.jp/category1/succulent/botany/402/growth

リトープスは見た目が奇抜な多肉植物。見た目がとても美しいことから、「生きる宝石」と呼ばれるほど。リトープスの季節は春であり、夏場に休眠することも特徴になっています。また、リトープスはメセンと呼ばれることもあります。リトープス南アフリカナミビアが原産です。現地では砂漠地帯に生息していますが、こうしたことからも見た目が独特さなワケがわかるものでしょう。

リトープスはその見た目からサボテンが男性的と言われるのに対して女性的とも表現されるそう…自分はそれを聞いて「え?w」っておもいましたが本当にマットな質感でとても見た目がかわいい植物なんです。本当にうそかと思うくらいファンタジーな見た目をしてるので是非リンクから飛んで見てみてください。
とにかく驚くべきところは種類の豊富さ。
それでいて、ときどきこのリトープスさんはパッカンと割れて脱皮したり、真ん中から開花のごとく花を咲かせたりするそうで,なんだか植物っていうよりも動物みたいなたたずまいなんですよね。これは日本語でいうkawaiiに相当しまくると思います。なのでこれを、猫がいるし室内で育てるやつ毎回失敗するしという不吉な条件がありつつもどうしても気になってしまい買う事にしてしまいました。



ルーツマニアになりつつある部分


それから、話は変わってそういった外の世界に対する興味、好奇心の盛り上がりがあるなかでわたしは去年読みまくっていた趣味の園芸をunlimitedにてダウンロードしてみたのですが、今回はなんだか見ていてもそれほど楽しめないのです。なぜ?そう思ってぱらぱらと説明を読んでいた自分だったんですが、何かいまは、植物をごりごりに育てたいというよりも、生命体の「わけ」の方を知りたがっていて,例えばオーストリア産の植物が紹介されていようともその育て方というよりも、どこでどんなふうに生えていて,周りとどんな関わりがあって,どんな特殊な増え方をしたり、そもそもどんなわけでこんなところで買ったり育てられたりしているのかっていうことの方が気になってしまっているんだと思いました。だから、これを育てまくって居る人がアドバイスしてくれようとも、そんなの育てられるような庭もないし…それで萎縮してしまうのみ。それよりもオーストラリアの状態が気になる。みたいな。そんな自分は最近,特に意味もなく図鑑や先住民の本などなどを読んでいる日々。

考えれば絵画の本もそういった歴史やヒト、生活や風土のルーツがそのままで載っているというような部分があったんですよね。それも好きだったんだなあと思いました。で、突き詰めて考えるとそれを知りたい,学びたいというよりも,太古の時間みたいな雰囲気に浸ってる時間がスキなだけなんじゃないかな?ともいえるんですがとにかくそのわけを知ったり、触れたり没頭する時間がいまは好きなようです。

そんなわけでunlimitedの方ではこちらをダウンロード。



オーストラリアの本はあまり置いてありませんでした。このように、興味があっても「そもそも本としてまとめられた親切な説明すらない」ジャンルはいまだに数多あると思います。
イヌイットは何処が始まりだったか忘れましたがあんな過酷な地域で生きている「ヒト」という存在が気になって仕方がなくてとりあえずネットのみではいろいろと調べて居ました。イヌイットの人たちのあざらし漁は法律で保護されているそうですね。そう考えるに文化をほかの何より重視、保護するっていう視点は日本はまだ遅れて居るのかも…
イヌイットの人達の気になるところはまず、食糧事情ですよね。わたしが小学生のころにたしか先生が,イヌイットの人たちは野菜などが無いためビタミンを補うために動物の内臓などすべて食べて、それで栄養を充足させて居ると聞いたことがあるんですが,昔はそうだったようです。それから鳥を,アザラシの内臓の中で発酵させて摂るという方法もあるようでこの発酵食品の分野とかも何か気になりますよね。チーズやキムチ,納豆や大豆製品ナドナド古今東西で発酵食品は何処にでも存在してて、それがいちばん人にとって効率の良い栄養の取り方だったんだなと思うとこういう共通点には興奮してきますね。


浅く掘る生物ジャンルの魅力

それから生物チャンネルもよく見て居るんですが,こういうのを見てて何が楽しいのかというと,自分のなかのあたり前が簡単に、一瞬にしてそこで崩されてしまうからですね。だから区画化されたやり方や仕分けも、桜がクローンで増えるとか、男が女に変わるみたいなことをごく当たり前に生物のほうがやって居るという時点で「へー、そういうのもありなのか」って納得させられてしまって、無駄な事で悩む時間が減って、好奇心の方に変換されてきます。だから思うに,ポケモンとかも今はいろんな色が出て,ポケモン自体もはじめは動物や植物が原型としてあるような生き物であったのに、今は完璧に100%人の脳内でできたみたいなファンタジー上の生き物に変貌してしまってるのを見て居るにつけ,まあそれは良いとしてももしかして私たちが何万パターンも試す以前にこっちの生命体の方は既に何億万パターンも配合を繰り返してよりよい形を探って居るんなら,向こうのほうが正解というか生き残りに関してはより正解に近いって考えるほうが当たり前なんじゃないか…って何か思っていました。
昔のゲームや漫画って思えばそういうところがあったんですよね。あの一度ハマると出てこれない沼感、一から人が考えて居たというより世界各国に既にあったことに感心したことからヒントを得て作り上げられていたんだなと思うことも多いです。
※これは、ディスではありません
どっちかというと、リスペクトにあります。

あとは猿のことも考えていて思ったんですが,猿と人間はもしかするとまったく別の生き物なんじゃないかなと思って居ました。猿は,いつまでも待ってたらいつか人間になるんですかね?わたしは、ならない気がしてました。だとしたら地球は予めスタートラインが決められて居た別個の生命体が置き去りにされていった星で,わたしたちが後からその謎を自分勝手に解きまくってるだけなんじゃないかなって。深海の生き物をちょっと見てるだけでもわたしらの今まで見ていた当たり前ってがらっと変わってしまいますよね。それでつくづく思うのは「彼らはこんなにも知らない能力を持ってて好き勝手に生きているんだ」ということで、あまりに自分が無知の上に築いた当たり前に安住してせこせこ、そこでちょっとだけでもいい目を見ようとしてた事だったりして、人間の脳みそってそれくらいちっちゃいんですよね。だとしたら、ごりごりに築いて信じ込まされていた定説の方もそんな当たり前に沿って作られたもので,もしかしたら,いくつかは嘘なのかも…?


なんかそういう小説も、いつか書けたら書いてみようと思います。