起きてまた眠りて皐月の硝子窓/わたる
もう皐月、終わってますが。
最近俳句づくりをさぼりがちだったりします。
先日やっと届いた(というか単に、注文したつもりになっていた)本が届きました。早速読んでますが面白いです。与謝蕪村、すごく良い…
松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。また、俳画の創始者でもある。写実的で絵画的な発句を得意とした。独創性を失った当時の俳諧を憂い「蕉風回帰」を唱え、絵画用語である「離俗論」を句に適用した天明調の俳諧を確立させた中心的な人物である。
絵は独学であったと推測されている。
無粋かもしれないですが「独学」の範囲が広過ぎるじゃないですか
著者の中里さんの解説を読みながら俳句を読み進めていくと、与謝蕪村とともに自然に埋もれていくような感覚を味わえます。自然に親しみ、愛する心で俳句を読んでいたんでしょうね。
ちなみに与謝蕪村の辞世の句はこちら
しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
自分が死の間際にいる際に、蕪村は自分の命をよそにこれからも続いていく自然の悠久さを思いやったのでしょうか。これはなんという感情なのか名付けがたいですが与謝蕪村のこころがそのまま伝わってくるようですね。
与謝蕪村は江戸時代の人ですが日本語のなめらかさ、使い方のうつくしさも際立っています。熟練した俳人、歌人はへんに技巧に凝ったり訴えかけてくるような叙述を使わない気がしています。こなれていくことでずっともっとまっすぐに、一見やわに見えてもじつは力強いものに近づいていくような…
俳句も短歌も味わい深いですね〜。こういうのを読むと歳を取るのも悪くないなと思いますね。(加齢を詠む、というのもあり、それも感慨深いものですが。)
最後にすこしだけ紹介。わたしが読んだところまでですが。
二もとの梅に遅速を愛す哉
春雨や人住ミて煙壁を漏る
春の海ひねもすのたりのたり哉
春雨の中を流るる大河かな
(Wikiでたくさん見られますね)
一番下の句、一度読んだときは春雨という繊細な雨の中にも、自然的な心情的な力強い大河がある…ていう意味だと思ったんですが、これは情景を読んだものらしいです。与謝蕪村は生活のために絵を売ったりなどもしており、絵画的視点で詠まれた句も多いようです。
- 作者:中里 富美雄
- 発売日: 2015/06/01
- メディア: 新書