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本のことを書いてあるブログ

東野圭吾「私が彼を殺した」を読みました

東野圭吾私が彼を殺した

私が彼を殺した (講談社文庫)

私が彼を殺した (講談社文庫)

こちら、何やら気になるタイトルで手に取ってしまいました。
タイトル通りに、話の中で一人の男性が殺されます。殺された穂高は野心高く、利益のために人の関係を抹消してしまえるような、いわゆる典型的な成り上がりのクズ男なのですが、こちらの小説はミステリものとしてその男をとり巻く男女の愛憎絡み合う様子が描かれています。穂高という人間がいかに殺されるに値する男であるかを描く部分を主軸としてそれを取り巻く三人の独白が交差していく感じで進んでゆきます。
真犯人はさておき…
最後の結末のあとで袋とじの巻末があり、そこで「えっ、そういうことなの??」となる二段階で楽しめるパターンになっています。こういう仕掛けが東野さんは好きなんでしょうねー。根っからのエンターテイナーというか。
それともう一つの主題は兄妹愛にあるのでしょうか。こちらの感じは東野さんのこういった恋愛情緒的なものを読んだことがなかったので意外なイメージで読んでいました。

個人的な感想

個人的な感想を言えば、わたしはこういった愛憎系の話はあまり得意ではなく…けど最後まで読めたのは話の構成がしっかりしていたからだと思います。例えば途中、雪笹と駿河の絡みなんかが出てきますがあの辺もそれぞれのキャラが確立していて文章のテンポが良かったのですいすい読んでいけましたが、何か感情の粘っこいとこがずっと続いたりこいつ、救いようないなという人に全て負わせるような物語だと食傷気味になってしまってあまり読めなくなるタイプです。そもそも、それを手には取らない…。
この辺は昼ドラや冬ソナ見ないでいる人間なので仕方がないかなと思います。好きな人はそればっかり見てますね。わたしもそれを否定はしません!

けど勧めないで…!



しかしその辺を、騙されてるとか言われてももうどうしようもないのかなって思った。牧場で暮らしたいです。

この小説で感じたのは小学生のような感想になりますが、人は皆利害でつながっているのだということでしょうか。兄妹愛については恩田陸さんの「木漏れ日で泳ぐ魚」それから角田光代さんにもそういう作品があったような…
兄妹について幻想みたいのが一つもないので多分ずっと理解というのは訪れないのかなと思う部分だとは思います。変に近過ぎるのがいやなのかもしれません。父、母はまだわかるんですが…だって父や母は庇護が仕事ですから…でも兄妹は違うんじゃないかなと思ってしまう。わたしの場合は姉妹間といえどかなり距離がありました。困ってたら守ってあげたいという気持ちも湧くし喧嘩をしたりはありましたが姉を一人の人格として見ていたのでべたべたしたい、みたいのは互いになかったです。幸せにやっててくれたら自分にとってそれが幸せなのかな、とも思ってます。ずっと同じベースにいた兄妹を心の底から憎むっていうことはないので、父母に対する感情とはまた違うものでありそうです。父母はいっとき、殺してやりたいってくらいでも憎めるものですからね。その辺もわかっていないと子育てっていうものは大変そうだ…

東野圭吾作品はともかくテンポが良いですね。そして謎解明の糸口をチラつかせながら何度も関係ない会話を挟めてくるのでページを繰る手が止まらない。あとは本当に個人的に東野圭吾さんはおかしなテーマを取り扱ってぐしゃぐしゃにして楽しむタイプの人じゃないだろうなという安心感みたいので身を委ねるみたいな感覚で読んでました。

バッドエンドもありだとは思うんですが、最終的にはそいつのどうしようもなさを好きになりたいんですよね…何か、それは感情として。そういう意味で「銃」なんかはピエロを演じ切ってるな、そこまで多分やれないだろうなという感じがあります。



ところで昨日、特に寒い日でもなかったんですが骨折した部分が急に痛み出してずっと湿布を貼って過ごしていました。「気温が低いとと古傷が痛む」と言いますけど、実体験してみると「ほんとだー!」っていう感じです。特に酷使したとかいう理由もないんですがずっと痛みがある…
けどこういうことを周りの人にいうと「ハイハイ」というリアクションにしかならないのがいつも不思議です。自分も同じ程度の反応しかしていないかもしれないけどあんな血塗れの手術したあとも所詮他人からしたら「ハイハイ」の立ち位置でしかないんだなあ、痛みは他人には伝わらないんだなあ、っていうか「ハイハイ」ってそもそも、何なんだよっていう…、、
病院では皆あんなに心配してくれたのに。


どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)

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嘘をもうひとつだけ (講談社文庫)

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いっぱいありました。