最近読書ブログを一週間近くも更新していませんでした。
最近入手したのはこちら。
・晩年(太宰治)
・心の海を探る(遠藤周作)
こちらは実家からの持ち帰り。
もっと色々(特に東野圭吾)が埋まっているかと思ったのですが全然見た覚えのないものが並んでいた。
ほか、
・一切なりゆき(樹木希林)
こちら、まだ途中ですが樹木希林さんの内面が垣間見えて面白いです。自由に見えながらも、心の中では自分の定位置を探る何かがあるんだなというのと、それをがっちり握っているわけではないというところが、希林さんの豊かさなのかも。普段はゆるやかで、一方で「ある面にはこだわりが強い」というのは不思議と人の魅力に見えます。
劣等感や欠点を、もうええんよみたく全面に出すと匂いますが、隠そうとしなければそのまま魅力になることもあるのだなあ、とこれはこの著書から感じたことではないですが最近思ったりします。わたしは隠しまくって生きてますが。まあ、一寸先は闇ですからね。現代って。
一昨年買ったのだと思いますが、何故か引っ張り出して読んでいました。若林さんの紆余曲折はラジオを聴いてても読ませますよね。最後まで読んだのですが一昨年には分からなかった感動がありました。
・あの頃僕らはアホでした(東野圭吾)
エッセイなんですが、言っていいのかわからないけど小説に見える。こちらはまだ二話しか読んでいません。
・わたしを離さないで(カズオ・イシグロ)
買いました。まだはじまりの方で、いじめの描写がつらい。今のところは格差、人の区分けしかなされていないのと、心理描写が不満がありますが何しろノーベル平和賞を受賞したものなので最後はどうなるのかというところで読んでいます。
なんか聞いたことのあるような話だよな。
・村上海賊の娘(和田竜)
ついに買いました。こちらは四巻まであるもよう。
立ち読みして、面白そうだったので購入。筒井康隆氏は、SFの方に近いのが多いんでしょうか。
最近は色々読んでますが途中で読む気が無くなってしまい、そのまま読まなくなるというパターンがあったりします。理由は色々ありますが、短編集だけど途中からテイストがガラッと変わったり、ああ、またこの流れか…というようなひとつのパターンが何回も繰り返されることに少々うんざり。
こんな風に、読書をしていて苦しくなるのは一体なんなのだろうと思うのには、ひとりの勝手なカテゴライズを見せ付けられているような気がしてしまうからかもしれません。人は、事象や人に出くわすと自分のものにするために噛み砕くという行動を取るのだと思います。その、カテゴライズが大まかになるほどに少数の人は苦しくなる可能性は潜んでいるのかもしれません。この間雑誌を購入したところ「息苦しい現代社会」という特集があったのですが「え?いまって、息苦しいの?」と疑問に感じたので未だにまるまるそれを読んでいません。息苦しい社会に喜んで足を突っ込みながら「息苦しい」って、なんでしょうね。わたしは息苦しさを紐解くことは「沼」だと感じていて、それよりも息苦しくない回路を考えを世界がたくさんあることに気付かない事がもっとまずいだろうと感じます。まあ多分、カテゴライズは自分もやってしまっていますね。取り敢えずは、「丁寧にする」ひとつのことをそうするだけでも誰かを少しばかりか楽にさせることに繋がるのかもしれない。何か、読書というものに気分転換や逃避を求めているのに、その中でもまたひとつの人間関係にあるようなこういう経験をして、また逃げるように他の世界に足を突っ込んではまた何も生まれず、逆にわたしが作者を理解する回路をまた働かせる運動になるんだなあ、ということに今けっこううんざりしています。
創作する
それから、創作もしたりしてました。何か色々思う事はあれど言うべき言葉もなく。とりあえずこういうのは、やらないよりもやっておいた方が良いのかもしれません。