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本のことを書いてあるブログ

ことわざ辞典/ナチスの優生学のこと

最近、使う機会があった為ことわざ辞典を買ってみた。これが良かったのは、仕事や人間関係などで悩んでいる時に結構使えるかもしれないということだった。例えば一人でわだかまっている時、だいたい人に話して共感してもらうだけで大分スッキリするのだけど、ことわざ辞典をパラパラとめくってみると結構その状況に当てはまるような言葉がいろいろと出てくるのでそんな風にだれかから言ってもらったような効果、あるかもしれないと思った。

例えば「少年老い易く学成り難し」だとか「羹に懲りて膾を吹く」だとか。こう考えるとだいたい人というのは愚かなことなのです。バカを古来からなん度も繰り返し生きてるんだなあ、と思った。そんなふうにことわざによって悩みが一般化共感される感覚を得られて、ああそうか、この狭苦しい悩み、古来から悩まれて来たことと同じような、人間的なことなのかもな。って思いました。そうやって自分のいるとこを距離を置いて見るための、ことわざって偉大な発明だなとわたしはアラフォーにしてあらためて思った。

 

ちびまる子ちゃんのことわざ教室 (ちびまる子ちゃん/満点ゲットシリーズ)

ちびまる子ちゃんのことわざ教室 (ちびまる子ちゃん/満点ゲットシリーズ)

 

 

ちなみに、ちびまる子ちゃんのシリーズで読みました。

 

あとはNHK教育でやっていたナチス優生学による人種政策を見ていました。ナチスは自分達ドイツ国民の優越を証明するために民族の遺伝子さえも研究し、統治していたのだとか。今の多様化した生き方が見える社会からすると考えられないような動きだけれど、こういった心理はどういうところから出て来るのだろうか。

一般化しては行けないだろうけど自分の少なく浅い経験から考えるに、自分のしていた仕事がまだ何もなされていなくて不安だった時、評価も対価もないような日常を、一人で送るそこ膨大なルーティンていうのを持て余していて、全く周りが見えていなくて自分がどこらへんにいるのかを確認したかったのだと思う。たった一合、二合登った場所にいる時、人は不安で不安で仕方がない。誰かの声を聞かなければだいたい気が狂う。確認する為にわたしは、情報を得ていく中、その心理の中で「出来ていない人」を探そうとしていたかもしれない。まず、自分の正しさを知りたいと思った。ひとつ、ひとつ答え合わせをするみたいに「わたしは正しい」と思えるものを取捨選択して拾っていった。その中で出来ていない人が居ると、大変そうだとは思ったけどわたしは安心した。出来ているところをチェックしていれば自分はずっと優位にいられる。だから出来ている自分を確認して、出来ていない人の情報を見たくなる感覚があった。…これは本当に、奥の奥の心理で、今思えばそれを確認するための情報収集もあったのかもなあと微かに思うくらいの事な為本当にごりごりでやってたと思っては欲しくないのだけど、でもこういう心理はあるのかもなあとそういう、何も見えない場にいた時の不安な心理、手探りでやっていく孤独を思い出して何かそう傲慢だけでは言い表せない心理が埋まっていたりするのかもしれないと感じた。自分の心を全く見ようとしなければそういった葛藤や複雑な心理(こちら側にある劣等感)も見えなくなって、ただ欲求という太い線で何もかもを吸い取り、自分一人での正しさだけで生きてもいいヒトになるのかもしれない。それが歴史上で何度も誤りとして行われているのを今知ると、人間てのは全然はなから正しくない生き物で当たり前なんだなと思った。正しい、公平性ていうのはそうしようと思ってる人が自立心を持って時々与えてくれる供物みたいなものだったんだ。

 

本は偉大だと思った。こういうことも、個人的な体験というのは本が存在しなければ全く存在しない世界に生きている私たちになってしまうだろう。

 

何か今日は小学生みたいな内容になってしまいましたが眠い為このままでおしまいです。