名前を付ける

本のことを書いてあるブログ

シンプル イズ ベスト

最近、ブログに書こうとしていたこと

 

◯林先生のドラマ

 

林先生が、「もったいない」ばかり言うから周りが(今でしょ、じゃないのかよ…)とイライラしてくるみたいなストーリー。

 

◯生き方を、だらだら時間もなにもかも消費する→からどんな風に歳を取りたいかにシフトする。

 

 

◯本の売り方

 

売れる本について考えてみた。思うに、小説は「雰囲気小説」と「ドラマ小説」に分けられる。雰囲気小説というのは特に中で何事が起こるわけでもないが作者の醸し出す詩情、起承転結にある一定の真実が含まれているため読者に高めの共感をよぶ…というもの。一方でドラマ小説の場合は構造がきちっとしている。これはどちらがよい、悪いとも言えないけれど失敗しやすいのは雰囲気小説の方だといえそうである。漫画なんかはほぼドラマ小説といえる。漫画家って本当にすごいと思う。

で、このことを踏まえた上で売れる本に「何が書いてあるか一目でわかること」っていうのがあるような気がした。例えば、タイトル。それから、序章。それから、ジャンル分け。あとは、雰囲気小説も含めると作者の醸し出す世界観がイコールで書いてあることと既に結びついているものは売れるのではないだろうか。それに対して、なにが書いてあるのか全くわからない場合、手を伸ばしにくいというのがある。だから、作者を知っていても、その作者の得意分野を知らない場合、なかなか手を伸ばしにくい。

思うになにが書いてあるのか分からないとき、作者自身も一体何がしたいのか分かっていない場合も多いのだと思う。自己反省も含め、まず自分は何をするために生まれてきたのかから考え直してみたい。

 

 

とにかく、人が本を買う場合、「こういうの読みたい」という感情によっているのだと思う。タイトルを見て、「こういうことが書いてあるのかな」と期待して買う。作者名を見て、「だいたいジェットコースターみたいな感覚で楽しめるだろうな」と期待して買う。ポエムに手を伸ばすときは、「詩情のある、雲をつかむような感覚に触れたい」と思って買う。で、その期待が当たった時、次にもまた手を伸ばすし、当たらなかった場合、または当たらないことが続いた場合、「期待」とのズレが激しく違うことばかり書いてある(例えば植物について書いてあると思って買ったのに作者の幼稚園の思い出について書いてある場合)場合、買わなくなってしまうのではないだろうか。

 

わたしの言いたいのは「シンプル過ぎる方が逆にいい」という可能性についてである。だから、あれこれ詰め込みたい!これもこれも試してみたい!とやるよりも、「言いたいこと、これのみ」で、むしろ足りないというくらいの方が実際は良いのではないか。そして、そうなれば「それのみ」を死ぬほど深掘りしなければならないという覚悟も生まれるであろう。

 

例)ソイジョイ→タンパク質が取れる