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トラジャ族の死生観について調べてみた

トラジャ族の死生観、葬儀について

「死ぬために生きている」[28]とも言われるトラジャ族の社会において、葬儀は労力面も費用面からも最も贅を尽くした行事である。

トラジャ族は、死を突然で断絶的な出来事とは考えず、プヤ(Puya)と呼ぶ魂の地(または来世とも考えられる)へ至るゆるやかな流れの一環と捉えている。肉体的な死を迎えると、死体は香油を塗られ[29]、吸湿性を持つ生地の帯でぐるぐる巻きにされてトンコナンに安置[注釈 2]され、ゆっくりと乾いてゆく[3]。この殯(もがり)の間、死者の魂は村の中を一時的に彷徨っているだけであり、遺体は生前同様に家族と共に過ごす[10]。

葬儀は数週間、ときに数ヶ月または数年[2]に亘って行なわれる事もある[注釈 4]。

葬儀におけるもうひとつの重要な儀式は、水牛の屠殺である。これには、白い水牛が特に喜ばれる[29]。その人物が持つ権力が大きければ、屠殺される頭数も増える。水牛の体と頭は式場に並べられ、「眠る場所」にいる主人(の魂)が来訪するのを待つ。

葬儀が終わると、遺体はあの世で必要なものと一緒に棺に収められる。棺が安置される場所は三種類ある。石の断崖に掘られた室、石質層の洞窟、または断崖に吊るされるかのどれかである。富める者が収められる断崖の石室は、掘り上げるまでに数ヶ月がかかり、費用もかかる。洞窟は、時に家族全員さえ安置できるほど大きなものもある。断崖にはバルコニーが設けられ、外界を向いたタウタウ(Tau Tau)と呼ばれるパラミツの木で[33]作られた像が置かれる[注釈 5]。赤ん坊や子供の棺は断崖や木に吊るされ、ロープが朽ちて地面に落下するまで何年もの間そのままにされる例もある。

トラジャ族とは

トラジャ族(Toraja)は、インドネシアスラウェシ島にある南スラウェシ州および西スラウェシ州の山間地帯に住むマレー系の先住少数民族。総人口約65万人のうち約45万人はタナ・トラジャ(en)県(en)(「トラジャの地」の意)に居住している[1]。トラジャ族のほとんどはキリスト教を信奉し、イスラム教と「アルク」(aluk‐「道(the way)」の意)と呼ばれる土着のアニミズムが続く。

20世紀に至る前、トラジャ族は自らが固有の民族であるという概念は持っていなかった。オランダの植民地支配とキリスト教伝播がもたらされる以前、トラジャ族は高地にある村内から出ることはほとんど無く、より広い地域を認識していなかった。

19世紀終盤になると、スラウェシ島の特にマカッサル族やブギス族にイスラム教が伝播し拡がると、これを危惧したオランダはキリスト教の布教に努め、当時まだアニミズムを信奉していた高地の住民に眼をつけた。

初期、宣教師たちは、奴隷売買で得ていた高い利潤を享受できなくなることに反発したトラジャ族の特に貴族層から強い抵抗を受けた[13]。

過去のトラジャ族社会において、家族の関係は社会階級にも支配されていた。階級は3つあり、貴族、一般人、奴隷であった。このうち奴隷階級は1909年にオランダ領東インド政府が下した政令によって廃止されている。

奴隷は自らを買い受けて一般人となることが可能だったが、子供の階級までを変えることは出来なかった。奴隷は、金やブロンズの装身具を身につけること、住居を彫刻で装飾すること、主人と同じ皿から食事を取ること、上位階級の女性と性交渉を持つことを禁じられ、これらを破ると死刑に処された。

大地の持つ権威はト・ミナア(to minaa、「アルクの司祭」の意)と呼ばれ、その約束事や現象は「生」(具体的には農業)と「死」(葬儀)の両方に及ぶ。アルクは単純な信仰システム(en)ではなく、法律・宗教・習慣の複合とされ、社会生活・農業行事そして伝統的な儀式を規定する。その詳細は村ごとによって若干異なる可能性があるが、生と死に関する儀式が明確に分かれている点が共通の必要条件となっている。トラジャ人は、それぞれの儀式が別れていないと遺体が滅んでしまうと考えている[24]。これら二つの儀式は非常に重要なものとされている。しかし、オランダ宣教師が布教に当たっていた時代に、規制されなかった「死」の儀式は今日も引き継がれているのに対し、「生」の儀式は催しや出席が禁止されたため廃れてしまった[14]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%2588%25E3%2583%25A9%25E3%2582%25B8%25E3%2583%25A3%25E6%2597%258F



https://www.gettyimages.co.jp/%E5%86%99%E7%9C%9F/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%A3%E6%97%8F

⬆️こちらに写真が沢山あります。

本を読んでいて、トラジャ族の死生観が気になったので少し調べてみましたが、色々読んでいるよりも百聞は一見にしかずで、写真で葬儀の様子や水牛の屠殺の風景などを見ていて、ほんとに他の国の文化や死生観は一朝一夕では理解し尽くせないなあと感じてました。
これを調べていると「ミイラと共に暮らす。トラジャ族の死生観」など色々な見出しの興味深い記事が出てきますが、わたしたちにとって一般的に持っている死に対するイメージのように不浄な物…不吉な物という考え方ではなく、死んだ人も病人としてしばらくは共に暮らし、生きているように着替えやお世話をしながら時には数年間ともに暮らしたりなどもするそう。そのようにしばらく共に過ごすことで家族は死者との本当の別れとなる葬式への準備期間を過ごし、心の整理を済ませるのだそうです。そうして多大なるお金をかけて行う葬儀というもので故人を天国へ送り出すのはひとつの通過点であり、人生において最も華々しい機会だと考えるようです。

とても独特な死生観だと思いますが見ていて感じたのは生きていることのありがたさ…でした。いい人、悪い人なんて好き勝手に色付けしてますが、ふっくらした生きてる顔をしていてこちらに笑いかけてくれる人であればおばさんでも、怖そうな人でも、汚い服着ていても皆良い人じゃないか…そう思った。「死」を意識した後でいまある日常がありがたく思えてくるのだった。
それほどに死はひと目見てやはり怖いと思う。でも家族であればたしかに、どうあってもずっと共に居たいというのも理解出来ますね。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E7%25A5%2596%25E5%2585%2588%25E5%25B4%2587%25E6%258B%259D

祖先崇拝についてのリンクはこちら。

日本でもお盆の行事はありますね。子どもの頃はお盆の時期に必ず怖い番組特集があって、宜保愛子(義母ではなかった)が出て来て先祖を自らに下ろして、数珠をちぎるとかちぎらないとか…それが悪霊だったら数珠が派手にブチ切れたりするんですが、それを姉と一緒に布団を被って見守ってた記憶があります。

日本人の死生観ってどうなっているのかな?と考えたりしますが自分の場合子どもの頃に読んだ手塚治虫仏陀とか、火の鳥の影響を受けていて輪廻転生みたいのがあるのかなとぼんやり考えてたりする気がしてたんですが、あれだと仏教ってことになるんですもんね。もう自分は子どものころから漫画文化の中で日本昔ばなし、それから世界名作劇場のいろんなお話、手塚治虫ドラえもん…などなどを読んで育ってきて、それが血肉になってしまってるので「ふつうに考えてそんな感じ」みたいのが切り離せなくなってあるなあって思ってました。
マジで漫画、テレビっ子育ちだったんだなと思ってびびります。

それから死生観について調べつつも思ったのが、こういった身分制度が自然発生してずっと保たれているのがどこの文化圏でも見られるっていうことを考えてたら、もはや人の在り方として人を区切って価値をつけて行くっていうのが本質的に逃れられないものとしてあり、分かりいい秩序としても人は本能的なものを選び、あるべくしてある状態がそれだったのかなと思えて来ていました。それを否定したあとでやっと平等があるわけですが、今わたしたちが声だかに言う皆が平等で権利があると言うのも西洋の文化圏から来たものを使っていて、本当に人が普通に暮らしていて原始時代から飛び出して「理性」というものを意識した後で必ず皆でそうしよう、その方がいいという流れになったのかと考えてみて、もしかするとならなかったのかもなとも思わないですか。
そう考えるに自分の国や土着のものと本当に結びついている部分なんて一体どこにあるのか…と思えていました。いま世界を見渡してみて、ただニュースを見出し読みしている時点かもしれませんがアメリカっていう色々な民族が合わさった国みたいに議論で決めて、多数決で考えて、合理的判断を下して、それから正義のもとに国民が感情的にひとつになったり、自分のかっこたる文化っていうのが限りなく思い出や調べて知ったあとの部分になってしまえば、そんなふうに複合的な国民性みたいのがあるのが日常的になって行くのがいろんな人がいて当たり前の世界の在り方になって行くのかなと思ってました。今考えているあたりまえなんていうのが、一体どこから他人に用意された物で、どこからが理想で、どこからが自分のしたいと感じてる未来なのかをいちいち考慮してみないと、これだけ恣意にあふれた情報の中に置かれれば、自分の目で見てきたもの、経験して来たもの以外の部分に対してはもう何が誰のものだったかも分からないというのが今でもあるのかなと思います。










余談ですがゲーム会社EpicGamesはフォートナイトの売上金3/20-4/3までの全てをウクライナ人道支援活動へ寄付するそうですね。こういう正義っていうものを意識した意思決定ってなかなか日本の文化では見られないなって思っていました。
「フォートナイト」開発会社、ウクライナの人道支援に寄付 既に3600万ドル集まる : 映画ニュース - 映画.com