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本のことを書いてあるブログ

嵐が丘を読みました

嵐が丘(マンガで完読/日本文芸社

 

読みました。こちらは原著で読もうと思ったのですが、出だしの同じ箇所を数日繰り返し読んでいながら進まない状態でした。

 

 

嵐が丘 ヒースクリフという孤児

 

簡単にまとめますが、物語は嵐が丘にある一家に孤児のヒースクリフという男の子が拾われてくるところから始まります。その家庭の娘キャサリン、キャサリンの兄ヒンドリー、ヒースクリフの関係が物語の肝となるのですが、キャサリンヒースクリフは人並みの恋以上にどこか通じ合うところがありつつも、ヒンドリーはヒースクリフを目の敵とし、父親が亡くなり自分が主人となるのをきっかけにヒースクリフを召使いとして扱うようになります。

 

ヒンドリーがヒースクリフを邪険に扱うことでヒースクリフ嵐が丘の一家に対する恨みを募らせます。それから、キャサリンとの間にも召使いと置かれてしまった自身との格差の感情を溜め込んでいきます。その果てに、キャサリンはリントン家のエドガーと結婚することに。この事でヒースクリフは自身の感情をよりこじらせるのですが、以後ヒースクリフのキャサリンに対する感情、ヒンドリーとキャサリン嵐が丘の一家に対する復讐計画は複雑に絡み合って行きます。ヒースクリフは姿をくらますのですが、その後身を立て直したあとで再び嵐が丘へと舞い戻ります。関係を修復させながら、エドガーの妹イザベラと結婚するのですが、それは自身の復讐の計画の一部だったのです。

ヒンドリーとももみ合いになったりするのですが、その辺はおぼろげ。(私が)多分その辺でヒンドリーが死にます。

この登場人物相関図の注釈に「荒野を駆け抜けた極限のラブストーリー」と書いてあるんですがまさにそんな感じです。「嵐が丘」とタイトルだけ聞いて、なにか、「若草物語」のようなテイストの話だと思っていた方いらっしゃいませんか?わたしは思っていました。

 

 

キャサリンの死後

身重のキャサリンが亡くなって以後もヒースクリフの復讐は終わりません。後半もいろいろと立て込んで来ます。ヒースクリフは自身の復讐のために自分の子どもと、未だ若いキャサリンの娘を恋に落ちさせるため手紙に手を加えたりなど色々と手を尽くします。自身の報われなかった思い、それから自己がヒンドリー含む嵐が丘の一家から殺されたという恨みは、他人の人生に対するあたりまえの感情を抱くことさえも出来ないのです。復讐を担う駒のように、周りの人間を使うヒースクリフには空恐ろしいものがありますが、それとさらには閉じられていた「家庭」という空間もこの嵐が丘を舞台とした物語からは感じることが出来ます。親、それから環境、受けた教育、家庭の枠内で行われる全て、それだけが「自身」を形作るのです。今の時代では考えられませんが…その中においてまるで取っ替え引っ替えのように(今から見るとそう見えたりもします)近しい人同士で恋愛に落ちることも珍しい事ではなかったのかもしれません。

ヒースクリフの子リントン、それからヒンドリーの子ヘアトンの性格の違い、ヒースクリフの思惑も物語に厚みをもたらしています。しかしその中で、ヒースクリフの一方的過ぎるほどの愛着というのは頼もしく見えるほど。

ヒースクリフの復讐計画やキャサリンに対する強い感情の部分はいままで見たことのない主人公のあり方だったので引き込まれました。死んでもなお、相手を生きている人以上の価値を置き、さらには、墓に入ってまで自身と身勝手に一体化することを願い、それをいう事を憚らない。最早わがまま過ぎるようにも映るヒースクリフの愛は、一途にも見える為、その異常な振る舞いの中に「嵐が丘」の物語を担うひとつの真実として輝いても見えるのです。

 

ヒースクリフは最後は何かに取り憑かれたようになってしまい、子ども達の成長と自身の老いを目の当たりにし復讐も頓挫してしまいます。キャサリンの亡霊をも見るようになり、飲まず食わずの果てに死んでしまいます。

 

最後、ヒースクリフと同じような立場として(ヒースクリフから)いじめ抜かれた(ヒンドリーの子ども)ヘアトンが、ヒースクリフを慕っていたというどこか救いを感じる場面があります。

人それぞれが違うという事は混沌でもありまた希望でもあるのかもしれません。

 

 

 

以上です。嵐が丘面白かったです。原著も読んでみよう。