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本のことを書いてあるブログ

グーグーだって猫である/大島弓子

Kindle Unlimitedで提供されていた「グーグーだって猫である四〜六巻」を読みました。

グーグーだって猫である (6) (角川文庫)
 

 

大島弓子さんの猫シリーズは、「綿の惑星」とそれからエッセイではサバのシリーズ、グーグーのシリーズを読んだことがあります。

 

グーグーというのは猫にしてはめずらしい、こころの広い猫。人見知りも猫見知りも、それから威嚇もしないし、人なつっこく傷だらけの、だれも仲良くなりたくないのら猫にも親切にする。

 

一巻を読んでから多分五年以上経っているため記憶がおぼろげですが、四巻以降は飼い猫+近所ののら猫たちとの交流についての話が多いです。

大島さんの猫の絵がかわいいのと、日常的なことをゆるりと書いているところに独特な目線が入り込んでくるのが不思議におもしろい。こういう考え方が「綿の惑星」につながってるのかなーと思いながら読む面白さもありました。

 

 

去勢する必要があったり、のら猫との付き合いはなかなか難しいものがあると思いますが、生態をきちんと知っている人が行動として実践していることに対して何も言えないであろう…と感じた。近所の猫嫌いな人とひともんちゃくあったり、のら猫が死んでしまったり、次々と子猫を産んだり、さまざま問題が起きたとしても結局思考は、じゃあなんで、人間は動物をペット化して好き勝手に飼う文化を作ったの?というところに行き当たる。わたしの住んでいる地域はのら猫があまりいないのですが、母親が畑仕事をしていたので「猫」っていうだけで毛嫌いする雰囲気がびんびんにあったような、そういう家庭だった。だからまず、同じ生き物と考えるかどうか、というところから考え方が違う人はいるのかもしれず、それを全く無視するということもまた出来ないのだろう。人間ってのは本当に複雑である。

 

印象的だったとこ

印象的だったシーンは「(さっきまで行方不明だった)猫がそばにいるというだけで、先ほどまでの苦しみが嘘のようにない」という、猫が居なくなり探し回っていたあとでの大島さんの語り口です。

わたしだったら、苦しみをもたらされたということを怒りに変換してしまうかもしれない。それが大きかったのならば、なおさらそうだ。けど真実はたしかに、居ればいいことなのだ…胸のつかえというものは他人の存在がそんなふうにそっと取り除いてくれている。私たちはそれにさえもなかなか気がつかない。

たとえば近所の人や猫つながりの人たちとの関わりでも大島さんの場合はいかなるときも、それが猫だったとしても相手の気持ちに寄り添っているように感じました。

 

そんな大島さんの視点満載の、猫といる日常が描かれた漫画です。

 

わたしは早く猫が飼いたくなりました。